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Paris way essay collection


「おもてなし」のイヤらしさ


『おもてなし』は、日本の文化だと言う人がいるが、果たしてそうであろうか。そもそも、もてなすという行為の前提には、もてなす側ともてなされる側の明確な人間関係があり、加うるに、その行為には打算が無く、しかも、もてなしを受けたことに対しての感謝気持ちが存在した。従って、誰彼関係なくもてなすわけではなく、誰彼関係なくもてなされるわけではない。

しかし、いつの頃からか、この日本の家庭においてはありきたりの習慣だったもてなしを、おこがましく頭に“お”を付け、『おもてなし』という言い方に昇華させ、更に『おもてなし』は、日本の素晴らしい文化とまで言わしめるようになったのは、サービスという語での経営に限界を感じていたサービス業界がひねり出した新しい経営戦略であった。

最近は、日本のいたるところから、この『おもてなし』の声が聞こえてくる。それは、サービス業界はもとより、政治家であったり、市町村の長であったり、未だもてなす意味を知らない小さな子供たちの口からさえ、漏れてくる。まるで打ち出の小槌を手に入れたかの様相だ。サービス業の宿命が同業他社との差別化とはいえ、へりくだりやおもねりをマニュアル化までする姿は、もてなしを弄ぶごとくで、イヤらしさしか感じない。

4年後に開催されることになった東京オリンピックでも、当然のごとく、官民揃ってこの『おもてなし』の大合唱である。そこには、訪日外国人の個人尊重を無視し、訪日者は一様であると決めつけ、一方的におしつけがましい 『おもてなし』で歓待しょうとの図がある。日本の文化や伝統を外国の人達に紹介するのはいっこうに構わぬが、儲けという下心を作り笑いで誤魔化そうとするのは、見ていてなんとも気味が悪い。

今の日本人の欲望には限りがない。昨日まで満足していたものを今日は無視し、明日には不満足を口にする。手取り足取りしてやらねば動かぬ、動けぬ日本人がそこにいる。「金さえ払えば文句ないだろう」と居直る日本人がそこにいる。文句は権利だとばかりに粗探しにはしる日本人がいる。こんな日本人にしたのは、他でもない、この『おもてなし』なのかも知れない。

そういえば、世界から高い評価を得ている日本文化があった。『もったいない』である。過剰な『おもてなし』に相反するこの文化こそ、コンパクトを売りにしている東京オリンピックにはピッタリの日本文化だと思うのだが、今それを口にするものは誰もいない。