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Paris way essay collection


ゆるい・ユルイ・緩い生き方


幼児ならいざ知らず、たかが着ぐるみにキャアキャア騒ぐいい歳をした大人たちの様が何とも嘆かわしい。日本全国の至るところで、地域の活性化とか称して、(ご当地の)ゆるキャラなるものがしゃしゃり出て来るのだが、そのゆるキャラに話しかけたり、抱きついたり、Vサインで一緒に写真を撮ったりの姿が何とも滑稽で、しかも、真面目腐った顔付きで、行政の長までもが一緒になってやるに至っては、その痛々しさも半端ではない。

少子高齢化の波に何とか歯止めをかけたいとの行政の思惑も分からないではないが、こ の波が来るであろうことは、かなり前から知られていたことで、それまでに何らの手立てらしきものを講ぜず、ここに来て、ゆるキャラなんぞに飛びついたのは、日頃からゆるい生き方に満足していた住民たちが、これまたゆるい行政に満足しきっていたためで、当然ながら、大した効果も得られるままに、暫くすればゆるキャラの存在すら忘れ去られ、ゆるい頭の中は更にゆるんで行く。

今の日本を見れば、至るところでゆるさがみえているわけで、政治は少数野党が堂々と審議拒否をし、安定多数の与党は委縮し、国民そっちのけで政治ゲームにうつつを抜かしているし、マスコミは週刊誌記事をネタにした、セクハラや不倫騒動を朝から晩まで繰り返し、芸能化へと進んでいるし、巷では余程暇を持て余しているのか、僅か一食を口にせんがため、老若男女が何時間も平然と長い列を作っているし、家庭では子供そっちのけで、親が率先して漫画を貪りゲームにのめり込んでいるし、上から下まで国民こぞってゆるさを求めている。

もちろん、人生には息抜きも必要で、いつも張り詰めていればその疲れも甚だしいが、それは日頃の勤労や学びが充実している上での見返りであって、初めに息抜きありきでは、ゆるみ切った生き方こそが最善としているに等しい。今はもう勤勉な日本人のイメージは薄れ、むしろ勤勉であることを嘲笑うかの様相で、そんなサービス業が人気を博し、そのサービスを受けんがために働くという社会構造になりつつあるわけで、面白い時代になって来たものだ。

「ゆるい」「ユルイ」「緩い」とどう言い換えたところで、ゆるさの本質は何も変わらず、一度このゆるさの味を覚えてしまうと、ちょっとした苦労が苦痛に感じ、耐えることや我慢することが身につかなくなる。楽して稼ぎたいと思う気持ちがいつも頭にあり、その結果、手を抜き、マニュアルを無視し、それが重大な事故や大きな損害を招き、これまでの信用を一気に失墜させてしまうことにもなる。

世間では、「働き方改革」なんてことも耳にするようになり始めたが、がむしゃらに働くことは決して悪いことでは無い。何らの計画性も持たず、スキルも磨かず、指示されたことしか出来ず、応用が全く効かず、残業時間が増えても成果が出せない。そもそも何の目標も夢も持たずに大学に入学し、何とかなるだろうと遊びまくっていれば、こうなることは必然のことだろう。

これが今の日本文化というなら、あの情緒も風情もすぐに衰退して行くのは間違いない。ゆるさは更にゆるさを求め、究極のゆるさがあるかどうか知らないが、いつか、日本の歴史にものすごくゆるい時代があったと記される日がやって来るかも知れない。良かったね、そういう時代に生まれて!