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Paris way essay collection


従心(じゅうしん)


年齢を表す言葉の中で、70歳になると、「古来稀(まれ)な長生きである」という意味の、「古希」と言い表すことはよく知られているが、もう一つ、「従心」という表し方があることを恥ずかしながら最近になって知った。これは、『論語』に出て来る言葉で、「思うままに行動しても道に外れなくなる年齢」という意味らしいが、長寿時代(注1)の今は、古希よりも、むしろこの従心の方を使う方が相ふさわしいような気がする。

もちろん、道に外れなくなるためには、人並み以上の学びや様々な人生経験が必要で、しかもそれらを具現化した言動が多くの人達に受け入れられ、一定の評価を得られるまでに至っていなければならず、簡単に従心を口にするわけにはいかないことは言うまでもない。 揺るぎない信念を持って人生を送る。この齢になって、そう口にすると、意固地な爺と煙たがられるが、柔軟さが全く無くなったというわけではなく、考えることが面倒なのである。

これまでの経 験を活かせば、応変に動こうと思えば動けるが、この社会の流れに逆らわず、流されるままに生きることを覚えてからは、この面倒さばかりに頭が行く。例え知っていても知らないと言えば、角が 立たず、その場は丸く収まる。あたら、知ったか振りをしたばかりに、いらぬ波風が立つ。 詰まらぬことに見栄を張り、些細なことに執着し、鼻柱ばかりが強かったあの若かりし頃が、全て無駄だったというわけではないが、あれは、誰もが一度は罹る麻疹みたいなもので、その時は、俺は何て恰好良いのだろうと舞い上がっていた。

経験は活かさなければ価値が無い。同じ失敗を何度も繰り返すのは、経験から何一つ学んでいないからだ。一つの経験から十を知り、それを全て活かすことは至難であるが、一つならば容易である。その一つすら出来ないなら、恍惚の人と罵られても仕方が無い。40歳になると、人間として迷いが消える年齢であるとして、「不惑」と言い表す。それから30年が経ち、「従心」と呼ばれるまでになった今、何を学んで来たか、それすら記憶の中に一片も無いなら、ボケ老人(注2)と呼ばれても仕方が無い。


(注1)2016年時の日本人の平均寿命は、女性87.14歳 男性80.98歳です。
(注2)最近はボケは認知症、老人は高齢者と言い換えます。