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Paris way essay collection


おだてに乗る人


世の中には、人をおだてて使おうとする人がいる。そして使われる人がいる。頑として拒否する度量も持ち合わせず、咄嗟に断りの言い訳も思いつかず、深く考えるまでもなく流されるままに承諾し、一夜明ければ後悔の念が頭をもたげる。それでも、少したりとも成長すれば良いのだが、数か月も経たぬうちにまた同じ轍を踏む。唯一得たものといえば、「これが人生なのだ」との、我が身への言い訳でしかない。

おだて上手な人の基本は、保身ということなのですが、そこまでは中々見抜くことは出来ません。人生、火中の栗を拾う等はもっての他で、なるべくなら煩わしいことに関りたくないと思うのが普通です。言った者勝ちの様相は今に始まったことではありません。

けなされれば反発も覚えますが、上手くおだてられ、その何ともこそばゆい感覚に痺れ、つまらぬ役回りを引き受ける羽目になります。一言で言えば、気の弱さということになるのですが、それは人間関係を壊したくないという
優しい心の裏返しであって、生き方そのものの現われでありますから、無理もないと言えますが、その優しさがすんなりと活かせるかというと、そうは行かないのが現実です。そして、何度か経験し、成し終えた時の安堵感を思い出しながら、退路を断つ心根で立ち向かわざるを得なくなってしまいます。

我が身を振り返って見ると、人をおだてるという事をあまりしてこなかったような気がします。それは冷静な目で見ていたというような、格好良いものではなく、人との接触にある程度の距離を保っていたからかも知れません。人の事は構わない、だから構ってくれるなというスタンスが、果たして人と人との繋がりの中で、良かったかどうか分かりませんが、少なくとも、自らが考え行動したということが、基本だったと思います。

先におだては保身だと書きましたが、全てがそうではありません。ここでいうおだては、一般社会の中での事であって、かけ引きというものが分かり切った、大人の世界の中でのことであります。この逆に、例えば親が子に対して行うおだては、子供の意識改革の発奮となります。叱るばかりでは子供は伸びて行ってくれません。子供の能力を引き出してやるといった手法の一つがおだてとなります。

おだては悪だと断定するわけではありませんが、少なくとも「おだてには乗るな」ということが、昔から伝えられてきたことを踏まえると、どのようなおだてであれ、その裏の意図するところを、 少しなりとも考えて見るべきでしょう。「いやそんな」と謙遜するのは良いのですが、そのこそばゆさを表に出せば、最早おだて通りの人間へと変化したことになります。