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Paris way essay collection


不公平を象徴するサービス業


不公平を敢えて望む人はいない。しかし今、人はこの社会の中の不公平なことに気付かず、その不公平と一体を成している。だがそれで、この社会の動きが停滞するわけではなく、日々の暮らしに変化を起こしているわけでもない。

それはなぜかというと、不公平を甘んじて受け入れるような生活に、慣れきっているからだ。精神的にも物的にも恵まれている人は、ごく少数である。不満を言えばきりが無いというが、人の心はそこまで成熟しておらず、何がしかの妥協点で折り合っている。

しかし、我慢にも限度があり、やがて不満が更に募り爆発し、緩やかに沈静化へと向かって行く。人はその繰り返しで、自らの道を歩んでいる。

人間関係において、不公平の極みは奉仕させられるということである。奉仕という言葉そのものに、不快を覚えることはないが、半強制的な奉仕となると、不快感が湧いてくる。国民全てが平等というのは、あくまで一つの形としての理想であって、現実はその理想とは程遠いところにある。サービス業といわれる業種は、今この社会の中で大きな核となっている。

サービス業を有り体に言えば、奉仕するという立場の業種である。一部の企業によっては、その接客の仕方を細かくマニュアル化し、迎える笑顔をも規定しているところもある。笑顔がサービスであるかは疑問だが、客は当たり前として受け入れている。確かにムスっとした顔で対応されるより、笑顔で対応された方が良いと思うのが一般的であるが、お金を払うのはあくまで商品に対してであり、笑顔に払うものではない。

奉仕の精神を尊ぶ経営者は多い。お客様あっての商売であることは、理解出来なくもない。しかし、それを達すために、卑屈なまでのサービスの在り方に抵抗を感ずる。不特定多数の見ず知らずの人に、平身低頭するこの商売の手法は、今社会の中で当たり前となっている。自由である者と規制を受けている者との接点が、サービス業の入り口である。

この先の時代の変化は、知るよしもないが、こういったずれた考えが当たり前だと思う限り、不公平はなくなりはしない。