dancelip.com

ダンスリップドットコム

Paris way essay collection


夫婦別姓


なぜ夫婦は同姓でなければならないのか。なぜ夫婦は別姓の方が良いのか。夫婦別姓については、インターネット上にも様々な考え方や意見が飛び交っています。この件に限らず、長い間当たり前だと思って為してき た事が、時の流れにそぐわなくなれば、見直しの論議が持ち上がってもおかしい事ではありません。しかし長い伝統と文化に基づいた、これまでの社会生活の営みを覆すような議論は、十分な時間をかけると共に、その確たる裏 付けが必要で、そしてその結果がプラスと出れば良いのですが、一時的な時流、例えば改革あるいはファーストという茫洋とした語に押されて、揚句の果てには変えなければ良かったとなると、たまったものではありません。

この夫婦別姓制度が持ち上がった背景には、かねてより民進党(旧民主党)を始めとする積極的な推進論者の人達がいるわけですが、その推進論を具体的に見てみると、必ずしも納得出来るものが 並んでいるわけではあり ません。

先ず『結婚し女性が男性の姓を名乗らなければならないのは、女性への差別である』というものですが、これは基本的に間違いで、現法律ではどちらかの姓を名乗ることなっていますから、男性が女性の姓を名乗って構わない わけです。そして差別というからには、何等かの差別があったのですから、その具体的な差別が何であったか、またその受けた被害の具体的なところを明らかにする必要があります。単に感覚的に、女性は男性に比べて弱い立 場であり、男性の姓を名乗らされる事は、男性に服従することと同じと言うのであれば、もっと弱い立場である子供は、どちらかの親の姓を名乗らされるのですから、差別という事が更に飛躍したものとなってしまいます。

二つ目は、『夫婦別姓はもはや世界的な流れであって、日本はこの面で後進国である』というものです。世界は日本を中心に動いているのではありませんから、世界的な趨勢がそのようであるならば、当然見直しの論議があっ てもおかしくはありません。しかし論議は論議であって、それを必ずしも為さなければならないということではありません。世界のそれぞれの国はその国の伝統と文化があって、全てが世界レベルで折り合っているわけではありません。 裏を返せば、世界レベルに合わせる事は、固有の伝統文化を否定する事にも繋がることとなります。何もかも迎合することは、個人の一人ひとりであっても難しいことです。個々の国々の実情を無視し、表面だけをなぞるような 感覚で後進国と言うべきではないと思います。

三つ目は、『日本の家を中心とした考え方ではなく、あくまで個人を中心とした考えであるべき』とのことですが、今の日本ほど自由を謳歌している国は無いと思います。言い換えれば、好き放題が出来る国が今の日本と言って もおかしくはありません。結婚し姓を変える事は家同士のしがらみに縛られ、自由が束縛されるという考え方は、個々の人の気持ちの持ち方次第とも言えます。確かに封建的な家もあると思いますが、それはその家の家風であっ て、知らず知らずの中に身に付いている自分の家の家風が、社会の中の全てと思う事に誤りがあります。自由という事を自分だけで拡大解釈し、それを阻害するものは認められないという考え方かも知れません。

この他にも『自らの築いてきた社会的な名声や実績が失われる』とか、『別姓を選択することによって、子孫が絶える事が無くなる』とか、あるいは『中国や韓国から嫁いで来た人達は苦痛に感じている』等、色々な理由を述べ られていますが、やはり簡単に頷けるものではありません。私個人としては、夫婦別姓が絶対に駄目だと言う積りはありませんが、日本のこれまでの長い伝統と文化の中にあった家あるいは家族というものの考え方を、今なぜ崩し て見なければならないのか、この事にどうしても見直さねばならぬ問題が生じているのか、それは何か、そしてそれを改善する手法がなぜ夫婦別姓という事になるのか、その辺りが不明確過ぎて、敢えて手を挙げるまでには至らな いのです。

そもそも婚姻は、言うまでもありませんが男女の恋愛から成り立つものです。そしてこの男女はそれぞれの家から派生しています。その家は固有であって、その家の固有を認めない限り恋愛は成立しません。自らは自らの家を認め るが、相手の家は認めないとすれば、婚姻ではなくても社会生活の営みは出来ません。婚姻により自らの姓を変える事は、自らが人間失格との烙印を押されたとの被害妄想的感覚は、余りにも自由を享受しつつ、更に自由を 欲しがるごとくであり、止まるところの無い論法かも知れません。

今回の選択的夫婦別姓制度が仮に成立しても、名のとおり選択しても良いとするのですから、どれほどの方が別姓を希望されるかは分かりませんが、自らに流れる血筋は断ち切れるものではありませんし、婚姻の相手となる人 もその血筋を断ち切れるものでは無いという事を、忘れてはなりません。一つの姓が家を現し、家族を現しています。

更に今考えねばならない事は、このような別姓という軽さのものではなく、少子高齢化や過疎化、それに生活保護受給者の増大等の様々な問題となっている家族崩壊の現状を認識し、この根と芽を摘む方策こそが肝要かと思います。