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Paris way essay collection


徒労は人生の栄養剤


無駄骨おりの事を徒労と言います。これまで数え切れぬくらいの徒労を繰り返して来ました。今ではそれは断片的な記憶でしかありませんし、敢えて懐かしもうとも思いませんが、今の自分が在るのはその徒労があったからで、もし徒労が一切無かったら、ただこの社会の流れに身を任せただけの、つまらぬ人生だったかも知れません。

徒労には面白い特徴が有ります。それが徒労である事に気付かぬ時があることです。薄々気付きながらという事もあるのですが、傍から指摘されて知る場合も有ります。これは少なからず傍に影響を及ぼしているからで、それが意図せぬ方向に至ったとしても、さほどの悪感情を持たれぬところに、徒労らしさも有ります。

齢を重ねると徒労が少なくなったかと言うとそうでもありません。残された人生を有意義にと人は言います。それはそうありたいとの願望であると思いますが、もし仮に有意義な事が何であるかを見つけそれを為したところで、評価を得る頃には次の世に移ってしまっているでは、余りにも寂しい事です。
徒労の少なさが人の評価を上げるわけではありません。徒労と言えども思考が伴うわけですから、徒労が無駄であるとは言い切れません。確かに如実な成果が出ない事が徒労なのですが、常に高いレベルでの成果を全てとするなら、人の人生において為す事の殆どが徒労となってしまいます。

記憶を深く辿るまでもなく、真っ先に上げられる徒労は不謹慎の謗りを受けるかも知れませんが、女性を口説く事でした。それは今風のナンパと称するような軽いものではありません。ナンパは思考を必要とせず、ギラついたちょっとの欲望があれば事足ります。

ナンパと口説くの違いは、その結果の形で明白です。ナンパは女性が引っ掛かるであり、口説くは女性から信用される形です。もう一つ言い換えると、無造作に入れた網に掛かった魚と、魚の習性を考えて仕掛けた網の違いです。
つまり口説くにはテクニックが必要で、テクニックは学びから始まります。色々なテクニックを学び反復し、修正しながらレベルを上げて行く。この事こそが徒労の蓄積であって、口説きは相手の心理を読み解く、正に徒労の究極のゲームです。

人から信用を得るという事は大きな財産であって、徒労がその手段であるならば、徒労にもまた価値を認めざるを得ません。しかし人の徒労の模倣は何の価値もありません。自らが学ばぬ徒労は、徒労もどきの類でしかありません。

社会には、分からぬ事はすぐに人に聞くといった風潮が、相変わらず繰り返されています。「知らぬ恥より聞かぬ恥」という語が一人歩きし、知識や情報を自らが得ようと努力を全くせず、労せずして得ようとする浅ましい考えが、正当化されつつあります。

人は苦楽の楽を好むのは当たり前ですが、楽は苦があってこその有り難さであって、苦の学びこそに意義が有ります。徒労はその学びの基礎となるものです。だから何度も言いますが、徒労には価値があるのです。