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Paris way essay collection


ネガティブ・ポジティブ日本語で言えよ


カタカナ語が大好きな人がいます。日本語で十分通じるところに敢えてカタカナ語を遣うのは、何らかの意図があってのことだと思いますが、聞いている方からすれば、必ずしもそのカタカナ語の意味を理解していない人もいるわけで、捉え方によっては、「何だ偉そうに」とか、「日本語も満足に使えないくせに」とかの批判を浴びてしまうこともあります。

世の中には、マスコミやネットにすぐ感化されてしまう人もいるわけで、タイトルのネガティブは消極的・悲観的なという意味ですし、ポジティブは積極的・楽観的という意味ですが、なぜ日本語で言おうとしないのでしょうか。もちろん、今の日本社会では、既に常識化された沢山のカタカナ語があるわけですが、その中に殊更に詰め込もうとする風潮はいかがなものでしょうか。

最近は、機関や組織が行う説明会などにおいては、丁寧な説明を求められるのが専らとなっています。従ってこういう場所では、説明に説明を要しない話し方、つまり紛らわしい言葉を遣わず、相手が理解しやすい言葉を用いるというのが原則であって、そのことが結果的に説明会をスムーズに運べることになります。

そういえば、小池都知事が口にする「都民ファースト」は、今ではもうお馴染みのフレーズとなっていますが、なぜ「都民第一」では駄目なのか。そこに都知事のどんな意図があるか分かりませんが、野球のファーストしか思いつかない人にとっては、「都民一塁?」と認識されているかも知れません。

英語が出来なければ人間では無い、と考えているわけではないでしょうが、巷では、社内は英語でと宣言した日本企業の経営者もいます。経営の戦略的なものから必要とする社員の英語力を高めようとの叱咤激励かも知れませんが、先ずは正しい日本語を遣えるようにするのが筋道です。正しい会話が出来る人には隙がありませんし、聞いている方も疲れを感じません。やたらにカタカナ語を混ぜられますと、話がポイント的な捉え方しかされず、線として流れなくなくなるかも知れません。日本語には味があり、一言一句に香りがあります。

日本を訪れる外国人観光客が年々増加しています。言わずもがな、彼らの目的は日本文化を見聞し、触れることにあります。このための日本のおもてなしも結構ですが、過剰に媚びる必要はありません。尋ねられれば応えてあげるというのは当然ですが、望んでいるか分かりもしないのに、手取り足取りする必要はありません。日本文化は日本人の心の中と暮らしの中に息づくものですから、ありのままの日本を見て貰えばよいのです。

蛇足ながら、最近、街角や公共機関の案内板には、日本語の他に英語と中国語とハングルが記されたものが多くなってきました。国際標準としての英語はともかく、中国語とハングルには違和感を覚えます。言語はその国を象徴する最も基本的なものの一つです。日本語の文化の中に一部の国だけをおもねるかのように多国言語を取り入れる試みは気持ち悪さしかありません。

日本文化は日本文化もどきであってはなりません。どこぞの日本人もどきに日本が侵食されつつあることは嘆かわしい限りです。