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謙虚さを弄ぶ


人は謙虚であると、他の人から良い評価を得られることを知っているが、日々そのことを意識しながら生きているわけではない。また、人は日頃から、他の人よりも目立ちたいという欲を持ってお り、自ら自身に高い評価を付け、誇張して表そうとしたりする。当然ながらこれは、謙虚さとは相 反することであるから、非難されることになるのだが、それがとても目に余るものでなければ、無視されて済むことが殆どである。

<今の日本の国会は、自由民主党が安定多数の国会議員を得て、政権を担っているわけだが、この体 制はすなわち、野党勢力の不満とするところであり、政権の批判を繰り返しているのだが、肝心の その拠り所となるものが、週刊誌の見出しレベルのものであるため、追及の迫力に欠け、政権を追 い詰めるまでには程遠く、その結果、政権与党側の緊張感も段々と薄れて来てしまった。

そこで野党は、政策審議よりも、与党の議会運営や答弁者の態度や言葉尻を捉え、「数(国会議員 数)に傲り謙虚さが足りない」などと、半ば人格攻撃を始めたのだが、これに反体制側のマスコミ も追随したため、国民もいつしか政権は謙虚で無いと思い始め、挙句にあろうことか、身内の一部の自由民主党議員までもが、謙虚、謙虚と騒ぎだしてしまった。

謙虚を辞書で繰ると、「自分がえらいと思っている態度をとらず、ひかえめなようす」とある。もちろん、謙虚さだけが、人の資質を表すものではなく、人を評価する上での単なる一面にすぎず、 政治家においてもまた然りである。しかし、政治家とは面白い職業で、与野党の議員であるかを問わず、選挙で当選した暁には、たとえ初めての当選で、未だ何らの政治的功績が無くても、「先生」の尊称が与えられるのだ。 そして、そう呼ばれることに何らの恥じらいも見せず、さもそれが当然であるかのように振る舞えるのが、政治家といわれる人たちなのである。だから、今の与野党の構図は、「己の謙虚さを棚に上げ、他人の謙虚の無さをあげつらう」図であり、三流芸人が演ずるところのお笑い番組と眺めておけばよい。

もちろん、謙虚である必要は無いと言っているわけではない。暇な人ほど他人の粗探しをする。自分に誇るものが無い人は、人を妬み陰口をたたく。謙虚な人は口数が少ない。熟考を重ねて口を開くからだ。今の政治家に求められるのは清廉さである。清廉とは、心が清く身にやましいところが無いことである。

一部の議員のように、自らの不祥事について説明責任を果たさず居直りを見せたり、自分の犯した不始末を秘書のせいにしたり、議場にプラカードを持ち込みパフォーマンスを繰り広げ、カメラ目線で自己アピールしたり、国会議員達の恥ずべき行動は沢山ある。

人は言動一致が評価の基準となる。口先だけの謙虚さには何の価値も無い。まさか、馬鹿の一つ覚えよろしく、「謙虚、謙虚」と騒ぐことが謙虚だと思っているわけではないだろうが、人が真に謙虚である時の姿勢が、どういう姿勢であるかご存知では無いと見える。国民は、マスコミの報道に踊らされることなく、謙虚であることの姿勢を学び、判断して貰いたいものである。

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