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慟哭の絆


年末になると、その年を表す漢字一文字が発表されるのが恒例となっているが、2011年の漢字は『絆(きずな)』であった。この年の3月に宮城県沖を震源とするマグニチュード9という巨大な地震が発生し、この地震の影響で、東北地方から関東地方の太平洋沿岸部に大津波が押し寄せ、死者・行方不明者18000人、消失・倒壊家屋11万3000戸、各種のインフラは至るところでずたずたに寸断され、東日本一帯にとてつもない被害を与え、日本中の国民が゛大自然の恐ろしさを思い知ることとなった。
こんな中、家族の安否を知ろうとしたが、なかなか連絡が取れず、不安な日々を過ごした体験は、改めて、家族や友人や地域の人々との『絆』の大きさを知ることとなり、希薄になっている人間関係に気付くきっかけにもなった。

それから7年が経った今年、東京都で5歳の女子児童が両親(継父と実母)から虐待を受け、命を絶たれるという事件が起きた。死の直前に衰弱した身体で、それでもなお両親に許しを請うため、書き取りの練習をしていたノートに女児が平仮名で綴った両親への叫びは、余りにも痛ましく、涙と怒りを抑えることが出来なかった。

   「もうパパとママにいわれなくても、しっかりとじぶんから、きょうよりかあしたはもっと
    できるようにするから、もうおねがい、ゆるして、ゆるしてください、おねがいします
    もうほんとうにおなじことはしません、ゆるして、きのうぜんぜんできなかったこと、こ
    れまでまいにちやってきたことをなおします
    これまでどんだけあほみたいにあそんでいたか、あそぶってあほみたいだから、やめるか
    ら、もうぜったいぜったいやらないからね、ぜったいぜったいやくそくします」
   
    (注)サイトの便宜上、読点を付け改行をしてあります。

虐待がどうとか、児童相談所がどうとか、社会や地域がどうとか、このような痛ましい事件が起きるたびに、問題視されるのであるが、いつも同じような言い訳じみた発言に終始して、いつのまにかうやむやになってしまうのは、そもそも、社会基盤であるはずの人間形成を怠り、踏み込まず、むしろ、自由と享楽を煽る社会秩序こそがあるべき姿と錯覚し、放置し続けたからである。
世情を見れば、至るところで食欲と性欲を弄び、品の無い媚びを売ることを生業とし、自画自賛することだけは甚だしく、人と人との繋がりは打算ありきで、バーチャルの世界が現実の世界であるかのように振る舞っている。

己の性欲に歯止めが効かず、挙句の出来婚を二重のお目出度と親子で囃し立てる様、愛より先に性欲があるのだから、互いの身体に魅力を感じなくなれば、いつ破綻してもおかしくない夫婦関係が出来上がる。性教育で避妊の仕方を教えたのはいいが、同時に命の大切さや親子の絆をしっかりと教えていないから、悲惨な結果がすぐそこにあることに気付かない。「子供は国の宝」なんて馬鹿の一つ覚えを持ち出すから、子供を造ってやった産んでやったと勘違いし、育児は大変だと二言目には口を開く。どこぞの犬は育児は大変だと吠えないし、どこぞの猫は育児は大変だと鳴かない。性欲まみれの人間だけが大変だ大変だと不満の泣きを入れる。

親子の絆は、「親は子を慈しみ 子は親に孝行で報いる」のが基本である。子は親の背を見て育つ。親に子を慈しむ心があり、祖父母に孝行する姿があれば、その子もまたその姿をとろうとする。親に子を慈しむ心が無く、ただ子に過度な精神的負担を課し、出来なければ躾の名を借りて更に追い込む。親が祖父母と諍いを繰り返し、口汚く罵り合う姿を見せれば、その子もまたその道を歩んで行くことになる。憎しみと嘲りの中からは、家族の絆は生まれない。その遺伝子が伝わり続ける限り、痛ましい事件は続いて行く。

どこかの世代で、その忌まわしい形と姿を正さねばならない。卵が先か鶏が先かの話ではない。女児の叫びに慟哭するだけでは何ら解決したことにはならない。今一度、親も子も自らの生き方を見つめて欲しい。正しい生き方であるかどうか、親に慈しんで貰えるような生き方をしているか、子に孝行して貰えるような生き方をしているか、親子の絆を我欲を満たさんがために用いてはならない。子に不満があるなら親を見よ、親に不満があるなら子を見よ。そこに自分を写す姿がある。

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