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Paris way essay collection


信用される生き方


人が人として生きていくうえで、一番大切にしなければならないものは何か? と問われると、それは「愛する心」であったり、「おもい やり」であったり、「協調性」であったり、あるいは「信仰上の感謝の気持ち」であったりと、人様々な答えが返ってくるのであるが、いずれにし ても、人と人との関係が上手く成り立っていなければ、その大切だと思うものの価値は薄く軽いものになってしまう。

人間関係の根底にあるのは、人と人との信用関係(注)である。そもそも、人から信用されなければ、会話は噛み合わず、弾 まず、それ故に人との付き合いは疎遠となり、いつしか人間関係は消滅していく。社会で何がしかの信念や理想を持ち、生き て行こうとするなら、人から信用を得なければならぬことを、幼少の頃から叩き込まれて育ってきた。社会に出て、人と交わるこ とが頻繁になると、あらゆる機会で信用を得るための言動を繰り返し、自らの信用力を高めてきた。信用があるからこそ、人は 何かと後押しをしてくれたり、いざという時には、救いの手を差し伸べてくれたりする。

常日頃は挨拶もまともに交わさず、目を背け、口を開けば不平や不満ばかりでは、人から信用を得られることはない。また、一 度信用を失えば、再び元の信用を取り戻すことは容易ではなく、下手をすれば一生信用されないままで終わってしまうかもしれ ない。だから、ここまで長い年月をかけて築き上げた信用を壊すことのないよう日頃の言動には気を配るのが普通である。日常 生活が乱れている人は、その言動もあやふやなことが多く、何のためらいもなく信用を墜としてしまうのは、そもそもその信用力が 中身のない薄っぺらなものであったからだ。人は相手を一度信用すると、ずっと信用し続けようととする習性を持っている。これは 信用というものが社会基盤の中で高い価値があることを、自分自身が理解しているからで、それ故に、自分が信用した相手は、 絶対に自分を裏切らないと信じ、自分も相手を裏切るまいとするのである。

信用の要は、約束をしたことは守るということで、個人の間でも、企業同士の間でも、国家同士の間でも、あらゆる機会に登場 する。そもそも約束を守れないなら端から約束をしなければよいのだが、日々においては些細なことを約束してしまうことは頻繁に あるわけであるが、もし履行されなくとも信用力にまで波及しないのは、互いにこのレベルならと認め合っているからだ。

しかし、国家間の約束はこうはいかない。単に口だけで約束するのではなく、文書にし、その国の代表が署名し、国際的にも明 らかにするので、これを一方的に破棄するとなると、これは国と国との断交を意味し、どのような制裁を受けても文句は言えない。 今の日本は隣国とこの状態に陥っているのだが、ここに至っても、一部の政治家や経済界やジャーナリストから、約束事さえ無 かったかのように、「未来志向」という馬鹿の極みを口にする者たちがいる。互いに信用し合えるからこそ、未来が見えてくるので あって、約束を無視するような相手とどんな未来を描こうというのであろうか。笑止千万であると言わざるを得ない。

(注)信用と似たような語に「信頼」があり、この二つの語の違いを定義付けるようなサイトもあるが、ここではその違いに踏み込ま ず、社会一般で重要度の高さで用いられる「信用(力)」という語の前提で話をすすめた。