dancelip.com

ダンスリップドットコム

Paris way essay collection


依存というライフスタイル

巷では、合成麻薬のМDМAの所持容疑で、女優の沢尻某が逮捕され、しかも10年以上前から、コカインや大麻やLSDなどの違法薬物を 使用していたことを供述したため、テレビのワイドショーは大賑わいを見せているのだが、これまでにも、芸能人の薬物がらみの報道は何度となく 見聞きしているので、いくらマスコミが挙って煽りまくっても、「あっそう!」レベルの反応しか返せない。まあ、逮捕された芸能人が大物であればあ るほど、それに比例して、騒ぎも大きくなるのだが、芸能界というところは独特な世界で、本来の芸能力のレベルを競い合うということよりも、好 感度勝負のようなところがあり、加えて、プライバシーに殆ど触れずむしろをひた隠しするような、イメージ先行の商売であるから、一度こういった ことが発生すれば、大きな衝撃として捉えられる

違法な薬物になぜ手を出し、依存をするまでになって行ったのか? 違法な薬物とは無縁の凡人には理解が出来るものではないが、仮に、 最初はちょっとしたきっかけで、ほんの軽い気持ちでの興味でしかなかったとしても、一度使用すれば、そこから得られたものは、これまでに一度 も経験したことのないような感情の高揚感であることに気付いたはずだ。

もしそこで、これはヤバいとなれば良いのだが、逆に求めていたものはこれだとなると、依存の世界に落ちていく。しかしそれは、大手を振って買 いにいけるものではないし、只で手に入れることも難しい。違法なものを使用するのだから、絶対バレないようにいつもビクビクしながらということ になるから、自分では気付かぬかもしれないが、挙動不審な行動を晒してしまう。もちろん、逮捕されるようなことになれば、芸能界から追放 され、家族や友人から見放され、挙句に、自身が負ってしまった身体と精神の回復に伴う苦痛に耐え続けて行かなければならないことは、過 去の薬物騒動を見ているのなら、これ位のリスクがあることは分かりそうなものだが、同じパターンで墜ちて行ってしまうのが、薬物依存の怖いと ころである。

依存は何も薬物だけではなく、アルコール依存やニコチン依存やギャンブル依存などは、社会で問題化されて久しい。更に眺めると、独り立 ちせずいつまでも親に頼り続ける、俗にいうパラサイトや、色々な事情があるにせよ、努力らしきことを全くせず安易に生活保護の受給に頼っ たり、あるいは災害時などで、自らの無謀な結果が原因であるにも関わらず、行政の責任に転嫁するなど、社会の至る所で、依存が跋扈 している。

依存を精神の弱さと決め付けるのは簡単だが、人の心が弱いということは今に始まったことではない。普段は、その弱さと上手く付き合い折り 合いながら、生きている人が殆どであるから、精神の弱さだけを強調し、あげつらっても依存心を換えることまでには至らない。考えるまでもな く、依存すれば楽で仕方がない。責任が伴うことが無いので、反省することも弁解することも必要がない。

依存の根底にあるのは、あの「何でも自由」という概念で、それを求めようとする心が強ければ強いほど、依存体質は強化されて行く。人に はそれぞれのライフスタイルがあり、他人からこと細かく干渉されるべきものではないし、全てをオープンにしなければならないというものでもない。 個人の密かな楽しみは、それが他人から見れば異常なものであっても、法に触れぬ限り、他人に迷惑が掛からぬ限りは何ら問題とならない。 どうしても依存したいなら、周りから羨ましがられるような対象物を探すべきだろう。
 
(注)依存を中毒と置き換えてもよいのだが、中毒という語は医学的ウェートの高い語であるから、治癒的意味合いが主となるような気がしたの で、ここでは依存という語でまとめてみた。