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Paris way essay collection


老害という疲弊



花から花へと蜜を求めて蝶が飛び交う様は何とも微笑ましく見えるのだが、組織から組織へと金と権力を求めて渡り歩く蛾が跋扈 する様は何ともおぞましい。今の日本社会がどこか息苦しく閉塞感を覚えるのは、権力が一部の人たちに集中し新陳代謝が進んでいない、 即ち、組織の長にまで上り詰めた者が、更に他の組織の長に就き、その権力の影響力をいつまでも保持しょうとする姿であり、この状況を有 り体に言えば、「老害による疲弊」ということになる。


憲法でいうところの「職業選択の自由」ということを無視するわけではないし、高齢者を一括りにして、老害と侮辱する積りもないが、 よく耳にする「有識者会議」では、その殆どのメンバーが組織の長まで上り詰め、それなりの齢を重ねた人たちの顔が並ぶのが恒例である。 日本は一億二千万人もの人口を有しながら、なぜかいつもの顔触れで席が埋まってしまうのは、誰かが裏で画策しているような気がして ならない。

端から選抜プールされたメンバーリストがあり、それをメンバー間で共有している。主催者は会議の権威を高め、メンバーもまた自己の権威を 更に高めようとの思惑が一致し、極力新参者を排除しょうとする。会議には暗黙の仕来りがあり、紛糾することなく淡々と進み、図ったかの ような合意を見て終了する。これは下種の勘繰りといわれればその通りなのであるが、日本人の精神的な感覚なら、自らを有識者であると 名乗ることはしない。恥知らずなのか、鈍感なのか、耄碌したのか分からないが、程ほどの生き方が苦手となっているようだ。

これまでの経験の豊富さは個人にとっても組織にとっても宝なのであるが、いつかはその身が朽ち果てるならばこそ、その宝をどう活かすということに尽 きる。次の世代に継ぎ得る宝は、永遠に記憶として刻まれるが、継ぐことを惜しみ、あるいは、金と地位だけのために維持しょうとするなら、その宝は輝 くことはない。顔に出た染みはここまでの歩んできた人生の証であると思っていたが、中にはそうではなく、欲深さを表すバロメーターとなっている人もいる ようだ。

巷では、高齢者の運転による交通事故が多発している。アクセルとブレーキを間違えて踏んだり、対向車線を逆走したりと、運転技術や感覚 が衰えているにも拘わらず、車の運転を絶対に手放そうとはしない。日本の交通環境や社会の利便性からいえば、簡単に車生活を棄てられ ないことも理解出来るが、百パーセント完璧な安全というものがこの世に存在すると証明されたわけではなく、万が一事故を起こした場合、自 損だけで済むのは良いが、他人の生命を奪うことになるかも知れない。

退き際の見事な人は退いた後も美しい。退いたと思っていたのにいつの間にか再びしゃしゃり出てきていた。それもど真ん中で踏ん反り返る姿 には、出てきてやった感が滲み出ている。誰それと名指しはしないが、テレビを見ていれば、あの人では? とすぐに思い当たる。この匹夫には 継げるだけのものはないが、自戒を込めて言うなら、退き際の美しさだけは汚したくないと思っている。