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Paris way essay collection


往なす生き方


「あなたのことを思って心配して上げているのよ」と、頼みもしていないのにお節介をかましてくる人がいるのだが、自分が心配することに価値が 有るように思わせたいのか、それとも単に暇潰しのために構って来たのか分からないが、多分もう少し時間を掛ければ、その発言に至った思惑 らしきことを明らかにすることが出来るかも知れないが、この時は、「心配してくれている」という何とも思い受け身の語だけが、頭の中を占めて いたので、その時は薄笑いで、「どうも!」と、終わらせていたような気がする。

人と人との関係は、「持ちつ持たれつ」というのが基本にあると教えられ育って来た。だから、己が言動もそうであらねば人間関係はスムーズな ものにならないと理解している。もし一方的に事を進めようとすると、進められた側はそこに進めた側の何か思惑があるのではと訝しがる。仮に その進めた人が、とても清廉な人であることを誰しもが知っていたとしても、受ける側からすれば、恩義とは別に心苦しさを感じてしまう。受け手 がこのように捉えてしまうのは、心の狭量というよりも、自分であったらと置換して見るからで、つまり、自分ならそこまでやらないしやれない。だか ら相手の行為は疑問だ、と何とも分かり易い反応がそうなさしめるのだ。

人の心を推し量るにしても様々な方法があり、こんな場合はこれと断定出来るものではない。ちょっとした気遣いや配慮といった軽いものから、 忖度や根回しなど重さを感じるものまで、日常生活の中で出会ったり触れたり交差したりするが、朝から晩まで持続しているわけではない。そ もそも人は、望まぬものは欲しないというのが基本スタンスであるから、たとえ好意的に捉えてもそこに何かしらの違和感を覚えれば排除に動き 己が身を守ろうとする。とはいえ、余りにもあからさまで有れば角が立つから、それなりに気を遣うことになるのだが、これが気遣いには気遣いとい う図式になり、人間関係は持ちつ持たれつの世界なのである。

こんな人間関係が嫌で煩わしく断ち切りたいと思っても、現実の可能性から言えば、完全に人と隔絶された地に住むか、あるいは自らの命を 絶つかを決めねばならないが、そこまで深刻に考える人は決して多くはない。この社会の殆どの人は程ほどの人生を歩んでいる。人は気付か ないだけで、自分の人生にそぐわないことを往なしながら生きている。何か夢や希望が無いと生きて行けないなどと煽りたがる人もいるが、一 芸に秀でていなくても十分に生きていける。人間は弱そうに見えても強い生き物なのである。何かに特化した人は一握りの人たちで、その人 たちがこの社会を動かしているのでは無い。極々平凡な人たちでこの国は保たれているのだ。