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Paris way essay collection


心のケア


近頃、よく耳にする語に「心のケア」というのがある。ケアは介護や看護と読みかえるのが一般的であるから、「病んでいる人の心の介護をしまし ょう」ということになる。

何かの事故や災害に遭ったり、あるいは事件や犯罪に巻き込まれたり、目撃したり、直接であるか間接であるかに拘わらず、そのことがきっかけ となり、心に傷を負ってしまい、これまでのような日常生活がおくれなくなった、ということはあるのだが、言うまでもなく、人の心はとても繊細であり、 その生い立ちを形成する家庭環境や教育環境、それに地域社会での人との関わりなどにより、千差万別の心模様を造り上げていく。 従って、一つの事象を契機として心のケアが必要な人が複数人いたとしても、一律の尺度でケア出来るものではないし、ケアにあたる従事者の スキルによっても、その結果は全く違ったものになることは十分に考えられる。

まあこれはこれとして、それより気にかかるのは、テレビなどを見ていて思うのだが、この「心のケア」という語を何かの条件反射のごとく簡単に口 にする人が、それなりに存在するわけであるが、そこでは具体的なケア内容には何一つ踏み込まず、ただ呪文を唱えるかのように「心のケア」と 発するのは、自らの発言には重みがあり、さもこのことが今すべき最重要なことであるかのように振舞うことで、自分に与えられた使命であるとの錯 覚に陥っているのではないかと思える。

条件反射的に「心のケア」を口にする人が、自分自身の心の弱さを理解していることは分かるが、穿った見方をすれば、俗に言う「左向きで人 権が大好きな人たち」に多いのではないかと思う。「弱きを助けて強きを挫く」をモットとしている人たちには、「心のケア」が何とも心地良く聞こ えるのかも知れない。更に穿つと、反政権の立場に身を置くと、政権のすることがことごとく気に入らない。政権は強者であり自分たちは弱者と のスタンスで万事を考えようとするから、「心のケア」そのものを、自分たちのケアと置き換えても何ら不思議ではない。

ケア専門家がどんな人を指し、どんなスキルが必要なのか分からないが、その過去の実績みたいなものが殆ど見えてきていないから、上手く機 能しているのかしていないのか知る由もない。もちろん、プライバシー的なことが多分にあり、オープンにしずらいのかも知れないが、「あなたには 心のケアが必要だからね」と唐突に言われてもピーンとこないのではないか、もちろん、現代人は切り替えが速く、そもそも心もそんなに軟では ないから、端からケアの必要性が薄いのかも知れない。

「心のケア」は相手との信頼関係が先ず前提としてあり、それが成り立つことにより、心が開かれて来る。話を聞くだけならある程度は容易いが、 こちらから主導し道を示すことはなかなか難しい。目指すところは、日常生活が精神的に安定し送れるように手助けすることであり、支配するこ とではない。「心のケア」の基本は、求められれば応じるというのがスタンスであり、求めてもいないのに「心のケア」が必要と言ってみたり、やる気を 出したがるのは、そもそも「心のケア症候群」に罹ってしまっているからだ。