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Paris way essay collection


春秋名臣列伝


歴史は全てが真実でなければならないという事ではない。人が自分の過去を隠し続ける一方で、美化を謀ろうとすることは珍らしいことではなく、そうでなくても、知らぬ間に自分の虚像が造り上げられて行きます。

そもそも、今、歴史だとしている事が、一切の疑義を差し挟む余地が無く、全てにおいて立証可能と、どうして断定出来るのでしょうか。歴史には、価値が無いとは申しませんが、今の時代は歴史の虚実より、未来社会への志向が優先される時代であり、日々造られる歴史が、そのスピードに付いて行けない事からしても、歴史は一歩下がって見るべきでないかと思います。歴史の大きな魅力の一つは、自分と同化させ、空想の世界へと導いてくれる事です。もちろん、歴史に関心を持ったり、興味を覚えたりするきっかけは、人様々だと思いますが、先ずは、後世に名を残した人物の存在があったからではないでしょうか。

歴史を造ったのも人であり、歴史を動かしたのも人であり、歴史にとどめを刺したのも人であり、その要所要所に現れた人物に歴史は光を当てて来ました。宮城谷昌光さんの『春秋名臣列伝』は、中国の春秋時代に、その歴史の光を当てられ、後世に名を残した名臣達を描いたものです。登場する人物は、斉の管仲(かんちゅう)、晋の子犯(しはん)、鄭の子産(しさん)、呉の孫子(そんし)等、この時代に興味がある人にとってはお馴染みの名が並びますが、それほど、興味が無い人でも、宮城谷さんの卓越した人物分析力によって、その人物の有り体を、容易に思い描くことが出来る一冊となっています。

名臣が名臣たる所以は、君主から絶大なる信頼を得ていたということになるのですが、一方で、信頼に足る人物だと見抜いた君主もまた評価されるべきでしょう。人は弱く、保身に走ることを咎めることは出来ませんが、そんな中、言動に迷いは無く、偽りが無く、常に正しい姿勢を保ち、しかも、君主の過ちを諫める事があっても甘言を弄ぶ事は無い。今の時代に、このような人物が存在するかどうか分りませんが、こうありたいと、思うだけでは、一筋の光たりとも当たるものではありません。

(追記)
 君主はどうあるべきかについては、まつりごとの中で、『行政の長に求められる資質とは』のタイトルで、この『春秋名臣列伝』の中から、晋の師曠(しこう)を引用しています。