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Paris way essay collection


十字軍


     『むかし、ヨーロッパとアジアという2人の姉妹がいて、
     ひとりはキリスト教、もうひとりはイスラム教を信じてい
     た。もう長いこと行き来をしなくなっていたところに十字
     軍遠征が起こり、姉妹をふたたび向かい合わせた。最初に
     顔を見交わしたとき、2人の瞳には敵意がみなぎっていた』
       
             (ジョルジュ・タート著「十字軍」序)

オーランド・ブルーム主演の20世紀フォックスの映画「キングダム・オブ・ヘブン」を見てから、十字軍のことが無性に知りたくなり、たまたま立ち寄った古本屋で手にしたのが、この創元社の「知の再発見」双書の一冊「十字軍」でした。この本の特徴のひとつは沢山の挿絵の美しさにあります。そもそも、浅学の身ゆえ、堅苦しさは長続きせず、したがってこの挿絵が購入の決めてになったことは間違いありません。

今世界では、過激なイスラム教というイメージが先行し、一部の国では、イスラム教徒を排斥しょうとする動きが高まっているのですが、信仰心の薄い仏教徒が多数を占める日本では、そこまでイスラム教徒に対しての嫌悪感は存在せず、これはこれで良いことなのですが平和ボケしている日本人は現実を迎えるまではなかなか動こうとはしません。平和憲法があれば、などと言うに及んでは、テロの脅威に直面している国をバカ呼ばわりしているようなもので、過激なテロ組織は、そんな日本を見て、薄ら笑いを浮かべているかも知れません。

さて、「キングダム・オブ・ヘブン」の舞台は、1184年から始まるわけですが、この時代は第三回十字軍遠征の三年前にあたり、エルサレム国のボードワン4世(癩王)とイスラム国のサラディンとの間で休戦協定が結ばれていたのですが、一部の私利私欲に走る者たちの行為によって、その協定も風前の灯火となっていました。そんな中、主人公のバリアン(イベリン卿)は、父から受け継いだ騎士の誓いを守り抜くために、イスラムとの戦の中に身を投じて行くのですが、圧倒的なイスラム勢力の前に敗北し、1187年エルサレムはサラディンの手に落ちてしまいます。

戦うというのは、そこに利があるからで、その利が純粋なものと考えるのは、戦う者のへ理屈でしかない。いつの時代でも、勝てば正義で負ければ悪となる。そして正義は美化されて行く。歴史は伝聞され世代を重ねて行くのであるが、歴史は自らの正当性を証明することはない。相反する国家や民族には、それぞれの歴史があり、永久に交ざりあうことはない。戦いを能動的にするか、受動的にするか、どちらにせよ、己が歴史に新しい頁を増やすだけのことである。

「エルサレムの価値とは?」
バリアンが問うと、
「無だ。だが全てだ」
サラディンが応じた。