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Paris way essay collection


風情を愛でる日本


「金鳥の夏 日本の夏」。テレビから流れてくるこのフレーズは、夏が来たことを意識するとともに、自分が日本人であることを自覚させられる、とても摩訶不思議なフレーズなのである。風情は、春夏秋冬その季節ならではの様々な情景や趣きや味わいをいうが、住む所によっては、この四季を如実に 味わえぬ所もないわけではないが、この四季の情景や色彩が日本人の基本的な部分にしっかりと根付いていることは間違いなく、仮に殊更に表に出るものではないとしても、折々のちょっとした風が風情へと導いてくれる。

社会が目まぐるしく変わっても、の風情が味わえぬというわけではない。風情は風であって、文明の中に埋没するものではない。夏の暑さを殊更に連呼するのは、この風の表面をなぞることであり、そこには文明のエアコンではなく、打ち水をした軒先で風鈴の音を耳にしながら、団扇で涼を取るのが風情というものだ。

日本の風情は誇るべき文化である。その文化に憧れ日本を訪れる外国人も多いと聞く。静的な文化と動的な文化、それを好むのは人様々であるが、夏の勇壮な祭りの後に、静寂が訪れるように、動くものがいずれ止まるとしたら、静的な文化が心の安定をもたらすのかもしれない。

風情は自然から与えられた恵みが舞台である。そして風情は日本人が生きて行くための糧である。その糧が少しずつ 蝕まれている。温暖化だ。「環境に優しい」は、本来の自然に回帰することにある。自然に回帰することは、人の心そのものが回帰せねば意味をなさない。風情を愛でようとするのは、その回帰への入口である。

日本人は、風情の中で育った。風情から学び、今の文化を創り上げた。日本人の心の中に根付く風情は、日本人の歴史であり、日本そのものの歴史である。この歴史は覆るものではない。他民族から干渉されるものでもない。なぜなら、覆させるこれ以上の風情がこの世に無いことを日本人は知っているからだ。