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Paris way essay collection


虚造文化社会に生きる



   『文化とは、衣食住をはじめとする広範囲な社会生活の中で、そこに住む人たちが
    生み出してきた成果をいう』

観光目的で日本を訪れる外国人が年々増え続けている。来日前の外国人たちが、日本に対して抱いているイメージは様々で、ネットを開けばその一端を知ることが出来るが、いざ来日し、その現実を 目の当たりにした時、彼らは感嘆の声を上げるだろうか、それとも落胆のため息を漏らすだろうか、その様を具に観察して見ようとは思わないが、所詮、観光旅行なんてものは、知り得た情報を元に、旅 行計画を樹て、その先の想像を巡らすことが楽しいわけで、現実が想像していた以上であれば楽しさは倍加し得した気分になるし、反対に想像とは大きくかけ離れていれば後悔ばかりが募り損をした気 分になる。ましてや、海外旅行ともなれば、それなりのお金が懐から出て行くのだから、損得だけで評価しても頷ける。

二年後の2020年に東京オリンピックが開催されることになり、今の日本は更なる外国からの観光客誘致に向け、官民あげてしゃかりきになっている。今更であるが、オリンピックは四年に一度、世 界最大規模で開かれるスポーツを中心としたエベントであり、その準備や開催には途轍もない莫大なお金が動くことから、お金の匂いに敏感な人たちにとってはまたとない大金を得るチャンスが目の前に 現れたわけで、大小の様々な組織や企業などが、陰で日向で欲の皮を膨らませる。またこの機に乗じて売名行為を企てる人も沢山いるわけだが、直接利害関係にない一般国民にとっては、これ等の 動きを冷めた目で眺めているのが現状で、本当のところは、こんなエベントに大金を掛けるなら、別のことに遣って欲しいと思っている人は少なくない。

今の日本社会は、これまでの伝統的な日本文と流行(はやり)文化がごちゃまぜになった混沌とした社会を形づくり、いわば虚造文化のなかにある。流行文化のベースは俗受けであり、どこかで何 か一つがヒットすれば、それは瞬く間に模倣され、アレンジされ、社会に浸透して行く。代表的なのはテレビ番組で、ある局の番組がヒットすれば、似たような番組がすぐさま登場し視聴率を競い合う。マ ネされた側のテレビ局がこれに異議を一切申し立てないのは、自局も他局の番組を模倣しているからだが、これらを見せつけられる側の視聴者もいまやすっかり慣れたもので、視聴レベルの鈍感さも増々 顕著になってきている。

俗受けを牽引している文化にもいくつかあるが、一つはアイドル文化だろう。カワイイを基本コンセプトに、自称アイドルグループたちが、似たような衣装を身に着け、似たような振りでダンスをしながら、 口パクでカワイイをアピールする。今どきの女の子たちは昔とは違い目立ちたがり屋が多いから、アイドル指向の流れも当分続いていくことは間違いないが、最終的には容姿と個性と才能で淘汰されてい くから、いずれは程々のところで落ち着くと思うが、そこに辿り着くまでにはそれなりの時間を要するだろう。

外国人に人気があるのは日本の漫画やアニメである。詳しいことは知らないが、日本の漫画に影響を受けたと口にする外国人は多い。そもそも漫画は子供向けとの認識はもう古く、文字嫌いの大 人たちまで貪り読む昨今であるから、やはり面白いのかもしれないが、漫画に全く興味がない者にとっては、その嘆かわしさを胸の中に押し込めるしか手立てがない。そういえば、テレビドラマも漫画をベー スに制作するのが流行のようで、まさに漫画チックな世の中になってしまったものだ。

もう一つ俗受け文化をあげれば、食べ物に関連したものである。テレビでは食べてイッパシのコメントを言う画が毎日のように繰り返されるのだが、もちろんこれも食傷気味で、言い方が悪いが乞食 番組としか言いようがない。まあ全てがマスコミの低俗さから来るもので、嫌なら見るなと言われればその通りなのだが、本来の娯楽の筋とは大きくかけ離れているわけで、箸の使い方ひとつぎこちない芸 人や女子アナの喰うところ見て何が面白いのかと反発して見たくなる。

外国人が日本の文化に接して、COOL(クール)という言い方を良く用いる。日本人独特の感性を指すのだと思うが、独創的で斬新あるいは突飛さが自国の文化と違って見えるため、そう言わし めるのかも知れない。しかし、このクールの語が日本人の心の中にすっと降りてこないのは、外国人たちが上辺だけの日本文化に目を奪われ、その奥襞にまで触れていないから、と日本人は思っているか らである。実際に日本に住み、日常の社会生活の中で日本人たちと深く交じり合えば、とてもクールという語で日本文化を語れぬことに気付くはずだ。

今の日本社会は虚造された文化で溢れ、その雑音に神経を擦り減らされていくような虚しい社会になっている。また、自然の機微を愛でるという日常が虚の中に埋没し、自然に思いを馳せる余 裕さえも与えられず、ただ傍観するだけで愛でていると錯覚しているのは、もはや、日本人の心が病み荒んでいるからで、これを本来の正しき文化の中に身を置くためには、更に新たな文化の登場を 待たねばならない。笑止!