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Paris way essay collection


自由とらしさ


「大人と子供の違いは?」と、問われると、「法律で言えば、二十歳未満の何とかこうとか」と、持ち出さなくても、もっとシンプルで明確な答えがあってしかるべきなのですが、今の社会では、沢山の幼児化した大人と大人びた子供が混在し、その違いを明確に述べる事が難しくなっているような気がします。

これまでは大人はこうあるべき、子供はこうあるべきといった事が、常識という範疇であったにもかかわらず、それはすっかり風化し、今これを持ち出すとそっぽを向かれるのが関の山です。ここに至った原因は、水戸のご隠居の印籠ごときのあの自由という語に他ならないのですが、本来は大人の自由と子供の自由とは違ってしかるべきではないかと思います。

それは子供からすれば全て自由、今風の子供の言い方に換えれば、「大人がしている事をして何が悪い」というのがあって、そこに責任という事を意識する事はありません。そのためと言いますか、大人は子供の自由をある程度抑制出来る権利を有すると共に、自らを律する義務と責任を負う中での自由となります。この事が法律の中の解釈らしき事かと思いますが、もう少し分かり易く言うと、大人は大人らしさの自由、子供は子供らしさの自由が与えられているという事になるかと思います。

このらしさという事で言えば、よく耳にするのが男らしさ女らしさという事になると思いますが、この言い方もすたれて来ているように思います。 らしさを求めぬ時代であるとか、それとは別にらしさに変わる何かが生まれて来たとか、ここに至る何かがあった事は間違いありませんが、その一つは異性化ではないかと思います。女性化する男性と男性化する女性には特徴があって、女性化する男性は、女性の持つ柔らかさや線の細さ等外見的で肉体的な事にあこがれ、男性化する女性は、男性の肉体的な部分ではなく、男性並みに物事が出来るという内面的で精神的な発露から来ているものと思われます。

らしさはあくまで人から見られてという事が前提にあります。その人もなるべく沢山の人から同じような見方となりますから、自らがらしさとして振舞っても人から認めて貰えないならば、らしさは成立しません。
またらしさは、大人らしさと子供らしさ、男性らしさと女性らしさと相対関係にありますが、その評価は相対の人からだけではなく、男性らしさを例に上げると、その評価に多少の温度差があったとしても、老若男女誰から見ても男性らしいという事になります。

らしさに抵抗を感ずる人も少なくありません。それは意識的に無視しようとしているのではなく、らしさの取り方の軽重かと思います。先に述べた男性らしさについても、ここまですると男性らしい、出来ないなら男性として認めないという類です。らしさは結局その人の像を現します。その像は相手に与える自らの印象という事になります。

一般的に人は悪い印象を与えたく無いと考えますから、与えるような振る舞いを避けようとします。これがらしさとなります。らしさを出す事は決して精神的な負担が掛かるものではありません。日頃のちょっとした言動で為しうるものです。しかし、今あり余る自由の概念がらしさを出す事を、妨げている事も先に述べたとおりです。