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Paris way essay collection


勇気を誇る


「諦めるのも勇気」「引き下がるのも勇気」「非を認めるのも勇気」など、 勇気の大安売りが続いています。格好をつけたがる現代人にとって、勇気という語が、とても心地良く響くのでしょうか。冒頭の三つの勇気にしたところで、諦めが悪いのはいつまでも未練たらしいからで、引き下がれないのは自己主張が強過ぎるからで、非を認めたがらないのはいつも責任転嫁をしているからで、そんな人達のマイナス部分を、勇気という語を利用して、体裁良く飾っているだけでしかありません。

勇気の捉え方も人様々で、勇気を弄ぶごときのあのバンジージャンプでも、高所が全く苦手の人からすれば、「だからどうなの?」とそっけなく返されますし、バンジーに挑戦した事を誇らしげに語る人でも、シルバーシートで踏ん反り返る若者には、一言も発しようとはしません。勇気にはどんな価値があって、それを為した事によって何が得られるのか、その本質的なところは分かりませんが、勇気を出す時は その出しどころの見極めが、人によってバラツキがある事だけは間違いありません。

一般的に勇気は感動をもたらした時に、大きな評価を得る事が出来るようです。そして自らの命を顧みない行為であれば更に評価はアップします。例えば暴風雨の荒海の中で溺れている人を助けるといった場合は、岸壁からロープを投げて助けようとする人と、荒海の中に飛び込み助けようとする人では、より危険性の高い飛び込んだ人の評価が高くなります。またプラットホームからレールの上に転落した人を助けるために、迫り来る電車の前にホームから降りて助けようとする人と、ホームの上から手を差し伸べるかの違いでも同様の事が言えます。

命を懸けなければ勇気では無いと言っているのではありません。冒頭のように軽々しく使える勇気とは何なのかが見えてこないのです。これに限らず最近は、些細な事に高い評価を与える事が多くなっています。さして可愛く無いものに可愛いと言って見たり、ごくありきたりの動きに上手と言って見たり、月並みな言い方に頭が良いと言って見たり、高評価の大盤振るまい状態です。これが今の社会生活で生きて行くための手法であると言えばそれまでですし、人がどう思うと勝手だろうと言われればその通りですが、これがそれこそ当たり前となれば、真偽の存在せぬ茫洋とした社会に常に身を置かなければならないという事になります。

人生において勇気を持たなければならない時がある事は間違いないでしょう。しかし、ごくありきたりの事に勇気を持ち出す事は、精神的に弱さを持つ人には一時的な発奮効果をもたらすかもしれませんが、何をするにしても勇気が必要という事になってしまいます。勇気の語が活きるのは、当たり前で当然だという事をきっちりと認識する事が前提にあります。勇気は誇り公言するのではなく、胸の中で為し得た充実感に浸るところに価値があります。