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Paris way essay collection


某年某月喫煙城陥落す


「禁煙なんか真っ平だ。肺癌なんか怖くないぞ」
「禁煙運動なんかには負けないぞ。最後の最後まで吸い続けるぞ」
と叫んで見たが、外堀も内堀もすでに埋められ、敵は兵糧攻に転じてこようとしている。
「何! 一箱千円だと。冗談じゃない。一日五百円の小遣いで、煙草一箱と缶コーヒーが飲めたのに、あいつらは、そんなちっちゃな楽しみも奪ってしまうのか」
喫煙城に集まった強者の面々だったが、もう青菜に塩の状態だ。

煙草の健康的な害については、販売者(JТ)自らが認めているように、異論を差し挟むものではありません。その一方で、法律で煙草の販売を禁止しているわけでもありませんから、その害を受けるか否かは、当事者の自己責任という事になります。ですが問題は、煙草の煙によって当事者のみならず、第三者の健康に波及する事にあります。このため、今やあらゆる公共の場所や交通機関では喫煙の禁止が進んでいます。喫煙者には不満でしょうが、喫煙人口の減少もあいまって、社会全体がこの流れですから、やむを得ないところでしょう。

非喫煙者から喫煙者への見方には二通りがあります。一つは煙草大嫌い派の人達で、害毒を撒き散らす輩は決して許してはならないが基本で、煙草を吸う者は馬鹿だ。煙草を吸う者は殺人者だ。と喫煙者への批判は極めて強く、煙草を麻薬か、それ以上だと考えています。

もう一つは、喫煙者のマナーの悪さに対するもので、 ところかまわず煙草を吸う。火のついたままの煙草を投げ捨てる等を批判の対象としていますが、マナーきちっと守っていれば、ある程度は大目に見てくれます。

一部の喫煙者の中には、煙草の煙より排ガスの方がもっと悪い。という人もいます。個人的にはこれはある程度同意できます。暑さ寒さが厳しい時期になりますと、周囲の人を無視し、車のエンジンを掛けぱなしにしている人は沢山います。極論を言えば、排ガス自殺した者はいますが、煙草の煙で自殺したと聞いた事がありません。

喫煙に限らず、最近の日本人のマナーの悪さが目立ちます。マナーは、 自然に身に付くものではありません。幼い頃からの親の教えが基礎になります。人間は弱く、環境に流され易いゆえ、そこを上手くコントロール出来るように教えるのが、親の努めです。理解出来ねば、身を持って示す。愛情は甘やかしではありません。はき違えた親を見て子は育ちます。それを繰り返せば、更に悪さは進んでいきます。

喫煙者に求められるのは、とにかくマナーです。非喫煙者を思う喫煙です。非喫煙者のいる場所では吸わない。許可された喫煙場所のルールを守る。吸殻は定められた処理方法で始末する。低レベルの事です。煙草はこうやってたしなむ、そう示すのが喫煙者の義務です。非喫煙者も一方的に目くじらを立てていても、何も解決しません。喫煙者には人権など無いという過激な発言は、逆に人としての在り方を問われます。

近い将来、分煙が更に進み、前面禁煙となる日が来るかも知れませんが、そこまである程度の折り合いが必要です。非喫煙者に一方的に我慢しろと言っているのではありません。感情的な言葉を投げつけるより、喫煙者が禁煙を始められるような環境造りに手を貸すことが、禁煙社会達成への近道ではないでしょうか。

青菜に塩の喫煙城の面々、

「もう城替えしかないな」
「どこへだ? あらかた敵方に押えられているぞ」
「それじゃ、人里離れた山の中へでも行くか」
「そんな所へ行ってみろ。肝心の兵糧をどうやって手に入れる」
「俺、禁煙して見ようかな」
「そんな弱気でどうする。最後まで、吸い続けると言っていたじゃないか」

と、ぼやきつつ、面々は新しい煙草に火をつけた。

(注) 城は場所、兵糧は煙草と置き換えて下さい。