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Paris way essay collection


がさつな社会の中の品


人から品の無さを指摘されると腹が立つ。自らの品の無さを認めつつも腹が立つ。この品は、「人や物に備わっていて、自然に滲み出る好ましい感じ」という事であるが、捉まえ方は決して均一なものではない。むしろ人の品のあるなしの判断は、自らの品を基準にする事が多い。

過去に一冊の本を契機に、品格という語が流行した。品と品格の違いは、品の好ましい感じのもう少し上が品格といった位置付けで、殊更に変わるものでは無い。いずれにしても、品が良い、品格があると人から言われれば嬉しいものだ。この品と対極にあるのが、がさつで、「言葉や動作が優美でなく荒っぽい」となる。

昔は、「人の品の事をとやかく言うな」とよく耳にした。これは取りも直さず、自らの品を高めよと言う事であった。品は決して金持ちであるとか、職位が最上位であるからと言うものでは無い。例えて言うと、家柄という事に近いかも知れない。しかし、家柄といえども、イコール品と置き換わるわけではなく、その家に代々引き継がれている何かが、 品を生み出しているのである。

代々引き継がれている何かとは、その家の家風であろうか。家風は長い年月を経て、規則や規制やあるいは家訓といったもので成り立ち、簡単に崩壊せぬものである。すると、品は明日からと言うわけにはいかない。品があるかのようには振舞えるが、それを持続することは難しい。品は一挙手一投足に現れるからだ。

品を意識する事が少なくなったと感ずるのは、周りに余りにもがさつが多いからだ。その中でもテレビからの影響が大きい。がさつな芸人だけのがさつな番組。そんな番組が氾濫している。番組制作者自身ががさつであるならば、そうかも知れぬが、視聴者が品の無さを好むと考えて、製作しているのならたまったものでは無い。最近は特に食べ物番組が多く、芸人たちの汚い食べ方には閉口させられることが何度もある。

品が無ければ生きていけぬという事ではない。がさつであろうと生きていける。しかし、品とがさつが相対した時に、人は品になびく。なぜなら、心の片隅に品の良さの灯があるからだ。