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Paris way essay collection


賢いとんびと愚鈍な鷹


とんびが鷹を生むなら、鷹もとんびを生む。とんびが鷹を生むのは稀だが、鷹がとんびを生むのは、枚挙に暇が無い。前のとんびはとんびの姿をした鷹であり、 後の鷹は、鷹の姿をしたとんびである。

人の成長する過程には、親の教育と自己学習が必要である。子供に物心が付き始めると、親は子供に教育を始める。躾という基本的な教育である。時には厳しく、時には温かく、緩急をつけながら躾ける。この目的とするところは、単に基本を覚えさせるというよりも、自己というものを目覚めさせることがポイントだ。つまり、いずれ巣立って行くということの自覚を、子供の頭の中に埋め込んでやるといった感じだ。この躾をきっちりとしないと、いつまでも親離れしないひ弱な人間になってしまう。俗にいうパラサイトだ。

次に自己学習に入って行く。学校は最低限必要な学問を教えるところだ。ここで学ぶということのポイントは、学問というよりも、集団生活ということで、家族という小さな集団から、更に大きな集団での適応を学ぶところにある。従って 自分と言う個人と不特定多数の個人との関係をしっかりと認識することにある。一部には、これ以前の教育つまり躾を学校に求める親もいるが、これは間違いだ。躾は親と子という関係の上に成り立つもので、親でない教師に求めるものではない。

これ等を学習しながら、更に成長して行くのであるが、この先、とんびのままか鷹になるかは、応用が利くか利かないかで決まってくる。社会というものは、 自分の想像以上に変化に富み、これまでの学習では、対応できないことが多々あることに気付く。だから、それ等にどう対応していくかを、試行錯誤しながらこなして行く。これがこなせなければ、とんびの世界だ。

トンビであれ鷹であれ、生まれた時からの成長過程が重要だ。鷹であっても、何等成長をしないならとんびに等しい。とんびが鷹を生むとは、とんびが子供に鷹に勝る教育をしたからに他ならない。と、とんびのお母さんは誇らしげに語ってくれました。ピ~ヒョロロ~!