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Paris way essay collection


場の雰囲気を読む


場の雰囲気を読む。これはなかなか難しいことです。一概には言えませんが、それは自制させられることが基本にあるからです。自己主張することや表現することは、人に与え られた権利であることは、誰もが認めるところでしょうが、社会では規制が掛かることがあります。これは憲法がどうの法律がどうのといった堅苦しいことではなく、ごく普通の 社会生活の営みの中に組み込まれた、人と人との協調を乱さないという、暗黙の了解といったところです。

テレビを見ていると、この場の雰囲気を読めぬ人を時々見かけることがあります。例えば、事故であるとか災害であるとか人の不幸や悲しみの場において、報道機関のインタビューに応じる目撃者と思われる人の口元に、なぜか笑みの零れが見えるからです。多分、 その人から見れば、その起こった事象が悲しみではなく、面白い事象であると受け取った からだと思いますが、少なくともその場に漂う雰囲気を読む能力が、欠如している人だと言わざるを得ません。

すると、ある種の演技を求められてしまうのかと、取られる方もいると思いますが、そうではなく、感情を上手くコントロールするといったことかと思います。葬儀の場で何があったにしろ、声高に笑うことはしません。感情をコントロールしているからです。それは、こういった場では感情をコントロールしなければならないということが、身に付いており、万が一にも失笑すれば、周りから非難を受けるであろうことが、分かっているからです。

場の雰囲気を読むということは、人と人との間において、何かを共有することになります。そしてこの共有は、人と人との信頼関係を醸成することに、寄与していることにもなります。これは先にも言いましたが、自制することが基にあるとはいえ、その自制が永遠 に続くものでないとしたら、人それぞれの取り方があるとは思いますが、敢えて避ける必要もないのではないでしょうか。

それでも今の社会においては、納得出来ないことは納得出来ないと、言う人も多いことは確かです。自分という者を中心に考えるのが人ですから、おかしいと思うことは、ごく 当たり前のことです。しかし健全な社会というものは、全ての個々の権利を認めて成り立っているわけではありません。それは権利と義務の上に成り立っているからです。そしてここで言う自制する、あるいは感情をコントロールするということは、この義務に近いところに存在すると考えるのが普通です。