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Paris way essay collection


知性で制御できぬ不倫の快楽



仏教徒が守るべき戒律である『五戒』に、「不邪淫戒(ふじゃいんかい)」があります。よこしまな性関係を持たないという意味ですが、分かりやすくいうと、不倫をしたらダメだよと教えています。

巷では、芸能人や政治家の不倫が次々とマスコミに暴露され、テレビのワイドショーの恰好の餌食になっているのですが、欲情に正直すぎるといおうか、下半身が緩すぎるといおうか、まあ自業自 得ということになるのですが、世間からは激しいバッシングを浴び、それまでに築き上げた信用も名声も地位も一気に失い、堕ちて行くのが常となっています。

当のご本人の中には、「男と女の関係ではなかった」とか「一線を越えてはいない」などと頑として認めようとはしない方もいますが、そもそも日頃から、自らを律することを怠らず、脇の甘さを露呈し ていなければ、マスコミのターゲットにならずに済んだかもしれません。ひと昔前までは、不倫は絶対悪で陰だったのですが、最近はむしろ陽のイメージを漂わせています。インターネットには出会い系 のウエブサイトが氾濫し、携帯端末機器の普及も相まって、不倫を醸成するような環境が身近に存在するようになり、不倫は「フリン」や「ふりん」とイメージチェンジし、その罪悪感も薄さを増し、ま るで気分転換を誘うような様相さえ帯びつつあります。

恋愛は自由という考え方や個々人の愛し合う行為や性嗜好に異を挟むものではありませんが、「私が好きになった人がたまたま結婚していただけのこと」と居直りを見せるところに知性は存在しま せん。人の評価には、様々な物差しがあるのですが、何か一つでも人並み以上に秀でていれば、高い評価を得られるのが一般的です。モラルは法として定められていませんが、人として守らなけ ればならない決まりとして定義されています。それは知性があれば理解し実行できるものであり、恋愛で言えば自らのあるいは他者の婚姻関係を壊す不倫は己の欲情をひたすら露わにする知性 無き者の愚かな行為として批判を受けるのです。

モラルは自然に身につくものではありません。幼き頃は親から躾として教えられ成長するにともない自ら学びながら身につけていきます。もちろん、そのレベルは人様々ですから、社会生活の中で、そ のレベルを修正していくことになります。時として実践することに抵抗を覚えるかも知れませんが、社会は沢山の人が共同で生活する空間ですから、真っ先に求められるのは居心地の良さです。そ の居心地を守ろうとする手段がモラルであり、モラルに反する行為は批判されて当然なのです。

フリンに言い訳は通用しません。一線を越えなかったといくら強弁してもそんな疑惑を持たれるような行為に及んだことからモラルが問われるのです。人間の性として快楽が存在する定めとしても、そ の求め方が間違っているのです。どんな高等な教育を受け知性を誇っても、己の性欲に負け不倫に走ってしまう。そんな人の顔は一様に傲慢でいつも目には人を嘲るような光を帯びています。ほ ら、あの人のように!