dancelip.com

ダンスリップドットコム

Paris way essay collection


キレるという感情表現



人生には喜怒哀楽があり、人それぞれがそれを言動として露わにすることは、時や場所を問わず、咎めを受けたり、謗られたりすることはない。それは喜怒哀楽が己を表す具現性に富んだもの であり、その人の心と一体をなし、心の叫びを如実に映すものであることから、人々はこれを尊重し合うという認識をいつも共有しているからである。

さて、「あの人は切れ者だ」といわれると、やり手という意味の褒め言葉だが、「あの人はすぐにキレる」といわれると、逆に最低の評価を下されたに等しい。このキレるというのは、怒という自分の感情をコント ロール出来ないということだが、単に辛抱出来ないとか我慢出来ないというような誰でも日常あることではなく、自己中心的な考え方が極めて顕著であることが前提としてあり、そこに世間一般の普遍的な 道理を一切認めようとはせず、ただ一方的に己の怒の言動を間断なく、相手や不特定多数に向けてまき散らすことをいう。

日頃から些細な事にすぐ腹を立て、怒りを顔一面に出し、言葉遣いは荒々しく、汚く喚き散らす。キレる人はいつもキレている。まるで、キレることを楽しんでいるかのようだ。キレる人の容(すがた)には独特 のものがある。その目は狂気に満ち冷ややかで、その視線はねめ回すような粘着性を帯び、その口許は相手を見下し、小馬鹿にするように歪みをみせる。その顔からは、人間としての温かみは微塵も感じら れない。普通の人なら、こんな人とは距離を置き、付き合おうとは思わない。

感情が豊かな人はどこにでもいる。中には、大袈裟とも思えるような身振りや手振りで、顰蹙を買ってしまう人もいるが、キレているわけではない。目元に温かみがあるからだ。キレる人は、そもそも自 分がキレていることに気が付かない。気が付かないからキレ続けるのである。幼児期の教育や環境が影響しているのかも知れないが、人はある程度の年齢になると、社会の仕組みや人間関係の在 り方など、世の中の様々な道理が理解出来てくるのが普通だが、幾つになっても、それらが理解できないというのは、少なからず精神的なダメージを抱えているのかも知れない。

しかし、キレる人は低学力というわけではない。巷でキレたことで有名になった女性政治家は、日本の最高学府である東大を卒業し、厚生官僚から政治家に転身し、将来を嘱望された人だったが、 自らの秘書に対して、余りにも凄まじく汚いキレ方をマスコミに暴露され、支持者達からも見放された挙句、国会議員としての職も失ってしまった。

今の時代は、自由であることが何事においても優先する時代であるが、己の望むところが、他の人の自由を制約し、束縛して良いわけではない。そのごく基本的なところが、キレる人は全く理解出来ていない から、さも自分の自由が妨げられたと錯覚しキレるのかも知れない。
相手関係において優位でありたいと思うのは分からないではないが、その手段として、恫喝的なキレ方で相手に恐怖心を与えるに至っては、もはや犯罪行為であると言わざるを得ない。自ら進んで人間関係 を何のためらいもなく破壊し、嬉々としている姿は、どう見ても正常な人のすることではない。悲しいことに、今の社会にはそんな人がすぐそこにいるのだ。