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Paris way essay collection


雑魚の魚交じり


テレビが詰まらなくなったと耳にするようになってから久しいが、視聴者のテレビに求める好みの変化や、社会生活の多様性、加えて、インターネット環境の激変的な発達などがあろうが、その主たる要因は、テレビ番組を制作する側が、視聴率の数字ばかりを気にするために、視聴率が高い他局のテレビ番組の模倣に走ったり、人気のあった過去のドラマを何度も再放送する等、安易な手法を繰り返し、独自の魅力ある新しいテレビ番組を視聴者に提供するという、最も基本的なテレビ局の姿勢が、崩れてしまっているからではないだろうか。

民間のテレビ局がスポンサーの広告収入で成り立っていることは理解出来るが、スポンサーの顔色を窺うことばかりに頭が行くと、そんなものがそもそもあるのかどうか知らないが、テレビマンとしての矜持は、ただの飾りでしかなく、テレビ媒体としての使命や役割を自ら捨てたに等しい。さて、今日のテレビを見ていると、詰まらなさを感じさせるものがいくつか思い付く。

① どのチャンネルを選択しても、芸人やタレント達の顔ぶれがいつも同じで新鮮味に欠ける。特に食 べ物関連の番組が多く、食後のコメントも定型化し、食べ方も口の中を見せるなど下品で、芸人たちのお遊びに付き合わされているようだ。

② ワイドショー番組の進め方がくどすぎる。昨今のワイドショーの内容はどこのテレビ局も横並びで、しかもその内容は週刊誌やスポーツ紙の記事を引用し、飽きが来るほど毎日繰り返す。当然ながら、画像や映像も同じものを使用し、自らの取材能力の無さを隠そうともしない。

③ コメンテェーターの質が悪すぎる。その道の専門家にコメントを求めるのはよいのだが、更に専門外のことにまでコメントさせるのは、最初に印象操作をしたいがための目論見で、視聴者を平然と馬鹿にしている。

④ あざといレポーターが鬱陶しい。番組上、レポーターが必要なのは分かるが、あの芸能人ぶったカメラ目線が何とも厭らしい。特に台風時の中、わざわざ強い風と雨の煽られに外に出て行く神経は、もはや精神を病んでいるといってよい。

目に付くところを挙げればきりがないが、テレビ局の傲慢さが増々顕著になって来ている。もちろん、視聴者のテレビを見る姿勢が、良質な番組を求めようとはせず、ただテレビを点けておくだけで満足していることも大きいが、やはり、インターネットの影響が凄まじいからではないだろうか。当然ながら、テレビ番組の内容は、その真偽や発言がインターネット上で報じられ、番組の信頼性がかなりシビアな目で見られるようになった。

テレビ番組の全てが嘘だとは言わないが、そこに演出がある以上は、番組内容に疑問を持たれても 仕方が無い。報道の自由はもちろん尊重するが、ものには限度がある。視聴率を取りたいがために過剰に演出し、加えてそれを煽るかのような姿勢が続くなら、視聴者が離れて行って当然である。最近のテレビを表すなら、「雑魚の魚交じり」状態といってよいだろう。余りにも雑魚が多すぎて、まともな魚が埋没し育っていない。番組制作会社に全てを丸投げする感覚では、矜持のきの字も無いのは明白で、こんなテレビ局なら無くなっても一向に構わない