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Paris way essay collection


どこにいるの私のいい人


少子高齢化の時代といわれて久しい中、その社会で生きて行かねばならない若者たちが抱く恋愛観や結婚観がどんなものなのか、暇つぶし程度に眺めているのだが、その昔、女性が求める理想の男性像に「三高」があったことをふと思い出した。すなわち、高学歴で高収入で高身長の三つを指していうのだが、当時の黄昏といえば、この条件に合致するものは何一つなく、それでも縁あって今の妻と巡り合い、今日に至っている。

さて最近は、ネットを見るまでもなく、更に色んな条件が付加されていると耳にする。容姿は俗にいうイケメンで、優しく包容力があり、結婚しても家庭に束縛されることは嫌、家事分担は当たり前、義親族との付き合いもしたくないなど、まあこれらを全て満たすような男性がどれほどいるか知らないが、大抵の男どもはこれだけ並べられると引いてしまうのではないだろうか。

もちろん、恋愛対象者の選択権は女性だけにあるのではなく、男性側にもあるのだが、そもそも単純構造の男どもは、自分好みの容姿であれば、それだけで即惚れしてしまう解りやすい生き物 であるから、したたかな女性からすれば、何とも御しやすく、色んな条件を繰り出して揺さ振って見ることも可能で、二股、三股は常套手段となるかも知れない。

巷で流行の合コンなんぞにせっせと通い、品定めに余念がない人たちもいるが、その場ではアルコールが入っていることもあり、場の雰囲気に流され、全く条件も整なわない中に、意気投合してしまうお馬鹿さんもいるが、なにしろ、この世代は恋愛がしたくてしたくて、うずうずしている世代であるから、やむを得ないともいえるのだが、これは未だ恋愛ゲームの序の口で、もっといい条件に巡り合えれば、簡単にリセット出来るとの前提だけはしっかりと自覚している。

とはいえ、人生経験に乏しい若い二人であるから、人を見る目も薄っぺらで、差しあたってはその場その場が楽しくて、肉体的にもそれなりに満たされていると、愛し合う私達って素敵なのかもと脳内変換されてしまい、だんだん、いわゆる緩くなり過ぎ、あれ?もしかして出来ちゃったかも!で、一丁上がりのパターンにハマってしまう。

まあしばらくは、その何とも言えないこそばゆい余韻に浸っていられるのだが、やがて子供が産まれ、自分事はそっちのけで育児や家事に追われ始め、精神的にも肉体的にも疲労困憊している時、周りを見渡せば、友人たちがずっと良い条件で結婚して行くのを見せつけられ、こんなはずではなかったと後悔が湧き、なぜかそんな自分を責めるのではなく、相手を恨む始末で、可哀想な私と自己中に陥り、やがてその先の離婚や不倫へと歩み始める。

恋愛も結婚も完璧というものではないから、仮に失敗であっても、その経験を次に活かせれば良いのだが、自分の未熟さを棚に上げ、ともかく相手が悪かった、という身勝手な思い込みから脱却出来ないならば、その寂しさから同じ轍を踏むのは必定である。
そもそも、もう少し条件を下げていたなら、周囲には条件に合致した男性が沢山いたにも関わらず、高いハードルを自らが設定したばかりに、逃してしまったのであって、恋愛や結婚が上手く行くのは、二人の努力こそが基本だとの認識が最初にちょっとでもあれば、全く違った結果になっていただろう。

満たされた条件でなければ私の幸せは無いというのは漫画の世界で、それまでいつまでも待ち続けたいと思うのは自由だが、いつまでも親離れ出来ない昔の乙女などに、いくら単細胞の男どもでもさすがに手は出さない。魅力ある女性になる必要は無い。魅力ある人間になれば、人はおのずと集まって来るのだ。