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Paris way essay collection


飾る生き方


 そう遠くない日にそれはやって来る。何の前触れもなく突然現れるか、それとも、人の心を弄ぶが如く、じわじわと蝕んで来るのか分からないが、 何れにせよこの齢であるから、それなりの覚悟らしきものはもっており、そうなってもじたばた不様な醜態を晒すことにはならないだろう。とは言え、死後 のことは残された者にお任せの世界であるから、我が家の宗派のしきたりに従えば、湯灌され、死に装束を着せられ、化粧され、合わせられた手には 数珠がかけられ納棺され、更には沢山の生花で遺体を囲むように彩られるだろう。

焼いてしまえば、スカスカの骨しか残さぬ爺の骸を、こうまでして飾り立てるのは、あの世でお迎え下さる御仏様に対しての礼儀なのか、それとも単に 死者を送り出すための一連の儀式の一態でしかないのか知らないが、人は生あるときは、自らの意思で己を飾り、死んでからは人の手を煩わせかざ ろうとする稀有な生き物である。

女性が化粧をし着飾ることに異義を唱えるものではない。個々人の個性は自分の存在を知らしめる一つの手段であって、女性の化粧はこれを前提 に長い年月の中で、違和感を持たれることもなく構築され常態化した。ところが、昨今の風潮を見ると、無骨顔のお兄ちゃんやオッサンまでが、美顔 商品に手を出したり、女性顔負けにエステに通ったり、ピアスや身に着けた装身具をひけらかす有様だ。まあこれに対して、女性たちから非難するよ うな声も聞こえてこないので、こんなチャラい男たちも増々増長して行くのだろう。

人は外見や上辺だけで人を判断しょうとする傾向があるのだが、見栄えはある意味、騙しのテクニックであるから、見掛けだけで判断すれば、当然な がら誤りを生ずることも多くなる。しかし、女性の色香にしても男たちの甘言にしても、その姿勢や立ち振る舞いを注視していれば、それらに崩れがあ ることに気付く。人を見る目、すなわち観察力は見掛けを暴く強力な武器となる。もちろん、日々の観察力のスキルアップを怠ってならないことは言う までもない。中には、観察力を粗探しだと勘違いし、逆に非難向ける人もいるが、これでは欺きに対して鈍感にならざるを得ない。

社会には善人もいれば悪人もいる。しかし例え、善人だと思われている人でも、自分のしている欺きに気が付かない。巷の流行りの「インスタ映え」で あるが、そこでは高精度の画像加工処理が出来るソフトやアプリを駆使し、更に見栄えを良くすることに余念がない。他の人と同じであっては誰も振 り向いてくれない、というのも分からないではないが、人と同じアプリを遣うところから既に矛盾している。自分の一番輝くところを一顧だにせず、巷の流 行に安易に飛び付くから、飾れば飾るほど、個性の無い金太郎飴人間になってしまうのだ。