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Paris way essay collection


煽られ社会に生きる


煽り運転をした者に対して罰則が強化された。テレビで煽り運転の様子を何度も放映していたが、あの悪意に満ちた顔で執拗におぞましく粗野な 言動を繰り返す様は、余りにも醜く不快感しか湧いてこない。車の利便性と快適性は正常な運転がされてこそ活かされるのであって、車を凶器化し 他者に恐怖心を与えるために用いようとするなら、煽り運転者には厳しい罰則が与えられて当然のことである。

SNSの界隈では炎上という騒ぎが時々発生するのであるが、それは所詮、ネット社会の日常の一コマにすぎず、ボヤ騒ぎの類で大火とな ることはないのだが、それがいつしか社会レベル規模まで膨らんで行くのは、そこに煽りという行為が介在し始めるからである。

もちろん、普通の一個人が煽ったところでボヤの域を出ることはないが、日頃から影響力を誇示しているような組織であったり著名な個人が煽りに 加わると、たちまち大きな火となって燃え盛るようになる。それは、マスコミであったり、政治家であったりするのであるが、彼らとて何にでも見境なく 飛びつくわけではなく、自分たちの利が最優先にあり、それが期待されるものであるなら、社会問題化へと煽り始めるのが常である。

良い煽りか悪い煽りかを判定することに価値はない。煽りそのものに生産性はなく、刺激された感情が揺れ動くところが到達点となれば、そこに自 らの存在を認識する。内容や状況にもよるだろうが、煽られればその煽りに同じるか否かを判断し、その形を具現化していくのだが、問題はその判 断が理性の下ではなく感情の下で行われることが多く、結果として悲惨な事態を引き起こしている。

「売り言葉に買い言葉」が抜き差しならぬまでになれば、後はどちらかが敗北を認めるまで遣り合わねばならない。まあ直接対峙はしなくても、感情の昂ぶり が治まりいつもの平常心に戻るには相当の時間を要することは否めず、煽られるという行為に意識的に近づかないとする日頃からの言動が肝要である

スポーツ大会や芸能人のコンサートで主催者の煽りに便乗するのは、それはそれで楽しいものであるが、世の中の煽りが全て同質というものではなく、 例えば、恫喝を帯びた煽りに無関心でいられるレベルの人は沢山いない。防御体勢であらねばならない状況は異常で、いくらこちらが冷静でいようと しても、それが更に火に油を注ぐことになるような事態にどんな対応が求められるのか、運が悪かっただけでは済まされない。世の中には尋常ではない 事象が数多く存在する。それら全てに己の尺度を当て嵌めようとするところに無理がある。理性が感情を淘汰するのではなく、感情と折り合うのだ。