dancelip.com

ダンスリップドットコム

Paris way essay collection


かんばせを操る


人は見知らぬ人と初めて相対したとき、その人がどのような人なのかを探ろうとする。「人を見れば泥棒と思え」ではないが、いま目の前にいる人が、 自分にとって無害な人なのか、そうでないのか、見定めたいのはそれだけではないのだが、ともかく、相手の何らかの容(すがた)を得んがために、相手 の一寸した仕草や言動の強弱までを、見逃さずに具(つぶさ)に観察を続けてから結論を出そうとする人もいれば、今までの自らの人生経験を踏ま えて磨いてきた勘を頼りに、相手から受けた第一印象だけで決め付けて勝負として出る人もいれば、あるいは、男女間で多いパターンだが、相手が 「タイプである」とか「タイプじゃない」とかの性もない薄っぺらな感覚だけで、手っ取り早く相手を自分の型に嵌めてしまおうとする。まあ、ひとそれぞれ 千差万別の方法で相手の容を探ろうとするのだが、たとえ、外見に崩れが多少見えたとしても、その人の立ち振る舞いや、言に棘が無く穏やかであ れば、警戒心も少なからず薄れていき、好感度さえ高まることにもなる。

人の感情が表れやすいのは目と口である。品定めをするかのように上から下まで睨め回すような目付きや、人を見下すかのような嘲りで愚弄してい るような目付きや、意識的に目を細めて恐怖心を殊更に煽るような目付きなど、決して柔和な目付きで迎えてくれるわけではない。中には、柔和 さを突然邪悪な目付きに豹変させて来る人もいる。また、相手の口許にも注視する必要がある。医学的な知識は皆無なので、誤解を招いてしま うかもしれないが、日頃から不平不満ばかりを口にしていると、口許はいつも苦虫を噛み潰したかのようにへの字に歪み、品の悪い顔を晒すことにな る。加えて、相手を小馬鹿にしたような薄ら笑いを見せると、気味悪さも倍加し、相手から一歩でも遠ざかろうと身体が動く。

人の外見を一目見ただけで、その人の全てが解るという能力は人間には備わっていないが、善人ぶって見せようとする姑息な能力は備わっている。 野党の国会議員が与党の大臣の答弁を追求している構図で、テレビカメラを意識ししたり顔になるのと、詐欺師が上手く騙せたとほくそ笑むことに 違いはない。やった感!を顔に表す人は多い。ましてや、そこに至るプロセスがシンプルで安易なものではなく、何日もかかって綿密に練り上げたも のが、プラスの成果として出るとなれば、殊更に嬉しさも倍加し、顔にもろに出してしまう。人間はある意味分かり易い構造となっているのだ。

身体の中で顔が占める割合は決して大きくないが、顔の印象一つでその人の全てが評価されてしまうことがある。眼の光や目の動き、声の抑揚や 口の動き等、これらを上手く操ることによって顔の印象もがらっと変えることも出来るのだが、その人の基本的な印象は、日々の言動から少しずつ形 成されていき、熟成を重ねたうえで日の目を見る。決して一朝一夕で決まってくるものではない。この世にパーフェクトな人間はいない。パーフェクトな 人間の印象を定義づけることには無理がある。日々の一寸したズレに気付かず、気付いてもいつまでも放置し、修正せず無関心でいられる人間に は、そもそもパーフェクトの語は似つかわしくない。ゆえに、いくら操り出そうとパーフェクトの印象は生まれてこないのである。

顔を敢えて、「かんばせ」としたことに深い意味はない。