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Paris way essay collection


マスコミという虚像社会


「マスコミ」は、マスコミュニケーションの略で、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、映画などを使って多くの人々に同時に、ニュースや知識を伝えること。またそれを 行う新聞、放送などの報道機関を指すが、これ等のマスコミが発する情報を受け取る側は、先ずその情報の真偽を判断しなければならないのだが、残念 ながら大量の情報を即時に分析処理する能力は人には備わっていないため、殆どの情報は、マスコミを性善説として捉え、聞き流しているのが普通であ ろう。

これ等の報道機関に携わるいわゆるマスコミ人の矜持なるものが如何なるもので、その矜持通りの姿勢を貫いているか知らないが、二言目には、「言論・ 報道の自由」を声高に叫び、まるで自分たちには特別の権利が与えられたかのように振舞い、時にはその言動が国民から顰蹙を買うこともあるため、巷 ではマスコミを「マスゴミ」と揶揄する人もいる。

一例をあげると、テレビの情報番組に多いのだが、視聴者を洗脳するのが目的であるかのように、同じ画をうんざりするほど繰り返し流したり、結論ありき で番組を進行したいがため、選択肢を賛成か反対かに限定して問い掛けたり、過去のデータをさも今のデータであるかのように提示し、コメンテェーターに も追従させるなど、ゴミと呼ばれても仕方が無いレベルのものをよく目にする。

もちろん、情報を受け取る側には選択権があり、嫌だと思うならその情報を拒否すればよいのだが、そうはさせじとマスコミは色々仕組んで来る。その一つ が、マスコミ自らが国民の代弁者であると嘯くことにある。御多分に漏れず、報道の自由を持ち出すのだが、自分たちに都合の悪い情報は報道しないと いう摩訶不思議な自由を使い分ける。殆どのマスコミは反権力であることが美徳であるかのように捉えているが、旗幟を鮮明にする勇気は持たず、どちら かといえば、八方美人的な温さに満足している節がある。

放送業界には「放送倫理規程」なるものが存在する。詳細は省くが「報道や弁論の自由」「民主主義」「論理的行動指針」などが語られているのたが、 もちろんこれで完璧というわけではなく、時折、不祥事が発覚した放送局は、再発防止に努めますとしおらしく頭を下げるのだが、所詮はこの界隈に住む 個々のマスコミ人の倫理観に負うところ次第であり、理想と現実の間で藻掻いているのが実情ではなかろうか。

まあこれだけ多数の放送局が全国に存在し、互いに鎬を削りあっているわけで、そうかといってそう簡単にキラリと光るものも出せずいつしか他局のヒットした 番組を模倣しても何ら恥じることもない鈍感さだけが成長する。そもそも、番組制作を下請けに出し、始めに脚本・演出ありきでは、マスコミ人としての矜 持などあるはずがない。どのチャンネルも食物関連とお笑い芸人で溢れ、こんな泡番組で視聴率を稼ごうと躍起になっている。

我々はマスコミから何を学べば良いのか、もし日々の営みに重要な情報が欠かせないのなら、幅広く見渡し、そのマスコミの報道姿勢と特徴を掴み、情 報の真偽の確証を得るまで信用してはならない。何を信じ行動するかは個々人の自由だが、報道されるものが全て真実で正義というわけではない。

「マスコミは寄り付いて来るが、寄り添うことはしない。マスコミは代弁者と名乗るが、代理人にはならない」