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Paris way essay collection


レッテル貼り


レッテルは、商品に張り付ける商品名や会社名、品質などを書いた小さな紙(一般的には「ラベル」で通っている)をいうが、「レッテル貼り」となると、人やものごとに対し、一方的な評価を下すことを指し、悪い評価に使うことが専らである。つまり、「レッテル貼り」は、その効果の程は分からないが、自分の気に食わない相手を陥れるための手段の一つということになる。

日常の会話においても、この「レッテル貼り」と思われる類を度々耳にする。例えば、「あいつは気が利かない」「あいつは金に汚い」「あの子は腹黒」「あの子は男漁りが趣味」等、本人が居ないことを幸いに、面白半分にレッテルを貼りまくる。人は自分が優位でありたいと思うのは、本能とも言えるのだが、世の中には姑息であることを、とても嫌う人が沢山いる。だから、余りにも度が過ぎる「レッテル貼り」ならば、逆に反感を買ってしまうこともある。

昨年、国会で「集団的自衛権の行使容認に関する法案」が与党より提出され審議された際、一部の野党は、この法案に『戦争法案』とのレッテルを貼り、国民感情を煽り、廃案を目論んだのだが、失敗に終わったことは周知の通りだが、もしこの後も、現実に存在せぬ法案で言葉遊びを繰り返すなら、法律そのものの意義、そして政党や国会議員の資質を先ずは問わねばならない。
仮定であるが、このような政治家や政党が、自らの歳費の増額に関して上程して来るなら、国民はその法案を『濡れ手で粟法案』とレッテルを貼っても面白いかも知れない(?)

今の時代は、個々を優先し、形ばかりの協調性を保った社会となっている。このため、安易な「レッテル貼り」に走ってしまうのかも知れないが、人の考え方や言動は、広く深く、その一面をもって評価出来るものではない。自らの意に添わぬ評価には激怒し、相手への「レッテル貼り」には、その真偽を確かめることもせずに、嘲笑する様は、何ともおぞましい。

「レッテル貼り」に対応する有効な術があるかどうか知らないが、「レッテル貼り」には、レッテルを貼り返す、などとの幼稚な考えを主張するようでは、周りに理解されず、それが元で、いつしか「あいつはレッテル貼りしか出来ない軽薄な奴」と、レッテルを貼られてしまうかも知れない。

人から正しい評価を受けたいなら、正しい生き方をする。これしかない。正しい生き方を学ばず、何ら目的も持たず、野卑な言動を繰り返し、日夜、享楽にふけっているようでは、自ら、レッテルを貼ってくれ、と言っているようなものだ。