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Paris way essay collection


民度の高さに酔いしれる


時代が変われば人の心も変わる。その昔、「向こう三軒両隣」という人の心の優しい繋がりを表す言葉があった。今もこの言葉が活きているのかどうか知らないが、一戸建てから集合住宅に移り住んで十年余り、向かいの居宅のドアも両隣の居宅のドアも固く閉じられ、互いに交わらない、関りをもたないという何とも冷たい空気が、この建物の中に流れている。「村八分」を受けているわけではないから、安堵はしているものの、人の心なんてものは、環境次第で変わってしまうものだと実感させられた。

さて、インターネットを眺めていると、日本人の民度の高さがしきりに喧伝されているのだが、日本人の一人として、嬉しく思う反面、いやそうじゃないだろうとの疑念も湧いてきている。外国人から日本人の民度が高いとと見られるには、いくつかの理由が考えれる。

 ・2020年に東京でオリンピックが開催されることになった。このため、日本は更なる外国人観光客の誘致を図るため、あの「おもてなし」なるサービスを前面に出し、これが外国人から高い評価を得られるようになった。

 ・自己をアピールすることが下手な日本人は、ある意味、無関心を装うのが上手いともいえるのだが、外国人たちからは、これは日本人が謙遜している奥ゆかしい姿勢だと勘違いされた。

 ・日本人は他人の目を気にするというDNAを持っており、そのため公共の場所では大声を出さない、行儀悪くしない等を幼少の頃より、厳しく躾けられるのが一般的である。

とはいえ、現実的には、今の日本は「自由第一」信奉者で満ち溢れ、潔さは風化し姑息さが増している。臭いものには蓋をするテクニックは更に上達し、人目無きところでは民度の高さとは裏腹の行為を目にする。私の住んでいる所は、金沢市の風致地区で、シンボル的な清流もあるところだが、その川の側道には、いくつもの煙草の吸殻や食べ物の残りや飲み物の空き缶がころがっている。また河川敷の芝生は犬の放し飼いが禁止されているにもかかわらず横行し、所構わずに糞尿させ、そのまま立ち去っていく。つまり、日本人の民度は決して高くなく、たまたま、そう評価した外国人の国の民度が余りにも低すぎたのだろう。

世界の国にはそれぞれの生活様式があり、日本の生活基準や考え方が世界標準でないことは言うまでもない。秩序正しいというのは、確かに見た感じは美しいが、それだけを以って評価されるべきではない。いざという時まで、その姿勢を保てるか、ましてや、秩序は自分一人で成り立つものではない。多数の人が同じ姿勢でなければ保たれない。まともなら、他国の民度を嘲笑うことはしない。そうすること自体が民度の低さを表している。自分の周囲を見渡せば愕然とさせられる。日本の民度の高さは、一部の民度の高い人たちが支えていることに気付くはずだ。