パリス(Paris)流エッセイOPEN 06:00~CLOSE 24:00

佳人はいずこに


黄昏も進みますと、あれだけ勇みに勇んでいた異性への関心も、ぐっと薄れてまいりまして、飛び切りの美形で無い限りは、自然と無視を決め込む脳体構造となってまいりました。それにしても、最近のお嬢様方のお化粧のお上手なこと、特にお目目がパッチリキラキラ、それだけで、もの凄くお美しいと思わせてくれるのですが、これはあくまで、ある程度の距離があってのことで、白日の太陽光の下、しかも、ごく間近であれば、何とも凄まじき塗描術が露わになる方もいるわけで、その痛々しさに一歩も二歩も引いてしまうのですが、そこまでして、お化粧をしなければならない宿命を背負って、この世に生を受けた世の中のお嬢様方やご婦人方には、心よりご同情を申し上げたいと思うわけです。

巷では、化粧は女性の身だしなみととらえる人もいますが、化粧だけでなく、服装や立ち振る舞いや言葉遣いも併せて、初めて身だしなみが整うことになりますから、お目目パッチリキラキラだけでは、身だしなみが良いとはいえません。もちろん、高価なブランド品を身に着ければ、美しさが殊更に増すものでもありませんし、上品ぶって見たところで、見る人が見ればすぐに看破されてしまいます。女性がもっともっと美しくなりたいと思う気持ちを、批判するつもりは毛頭ありませんし、化粧をそのものを愚だと言う積りもありません。ただ、その化粧をする理由が、異性を振り向かせるためだけの術としているなら、そうならしめた軽薄な男の端くれの一人として、ご批判を甘んじて受けたいと思います。

では何を以って、美形というのでしょうか。あばたもえくぼという類もありますから、定義することは難しいような気もしますが、敢えて言わせて頂くなら、抽象的ですが、「女性の内面から滲み出る気品を帯びた神秘的とも思えるような美しさ」、ということでなかろうかと思います。

中国の春秋時代、衛の荘公が娶った斉の公女である荘姜の美しさを、『詩経』の中の「碩人」で称嘆しています。その一節を抜粋しますと、

手如柔荑  手は柔らかく白く
膚如凝脂  肌は滑らかで白い
領如蝤蠐  うなじは白きすくもむしのようで
歯如瓠犀  ヒョウタンの子のような綺麗な歯並び
螓首蛾眉  整ったひたいに綺麗な蛾の眉
巧笑倩兮  笑顔はとても愛らしく
美目盼兮  目はぱっちりと美しい

おどろおどろしい表現もありますが、そこは当時の形容の仕方であって、これが現代に当てはまるものとは思えません。

人は否応なく衰えて行く定めですから、いつの日か、その衰えを受け入れねばならない時が来ます。プルンプルンの頬っぺが自慢だったお嬢さんも、みずみずしいしっとり肌が自慢だったご婦人も、それが永遠のことでは無いことに、気付く日がやって来ます。齢を重ね老いる事は恥ではなく、刻まれたしわに罪はありません。それは、自らの人生を自らの意思で歩んで来た証であって、誇りこそすれ卑下することは一切ありません。祖母や母の老いた姿を見て、何を学んで来たのでしょうか。真の美しさは、人生を歩む正しき姿勢と、日々の偽りのない言動、そして、人に対する思いやりや優しさにあります。いつかそこに気付き、誰からも美しい人と言われますように。合掌。

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