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Paris way essay collection


価値観が一緒は一緒ではない


「あなたと価値観が一緒ね」と言われると、嬉しい気もするし、悲しい気になったりもする。そもそも価値観とは、個々人の基本的な考え方をいうから、他の人と完全同一となることは殆ど無い。そこで、概ねという判断を用いようとし、例えば、好きという価値観があったとして、もの凄く好き、普通に好き、どちらかと言えば好きが、概ねで括られれば、価値観が一緒になってしまい、冒頭のような気分が生まれるのだ。

個々人の基本的な考え方は、生まれも育ちも環境も様々であるから、違っていて当然なのだが、この価値観が一緒という語には、魔法があるかのように錯覚している人がいる。特に男女間において、そこに恋愛感情がある時は殊更で、価値観が一緒と口にした時は、愛情が更に深まったと思ってしまうからやっかいだ。だから、価値観で結ばれたカップルの別れは、愛情が無くなったというより、価値観の相違ということになる。そもそもそれは、どちらかが相手に合わせていたか、勘違いだったのだが、愛情と価値観を同一にみなしたための悲劇ともいえる。

人は価値観を口にせずとも、人生を全う出来るのだが、たとえ小さな事象であっても、常に優劣を付けながら生きている。何をするでも無く、何を考えるでも無く、ただぼんやりと人生を送る人はいない。それでは生きている価値が無い。極論を言えば、座して死を待つのも一つの在り方かも知れないが、人は生にその価値を見つける。次の世がすぐにそこにあるのなら、選択肢も少なくなる。好きなことを精一杯やろうと思うか、信仰心に目覚めるか、人それぞれの価値観が生まれて来る。人は人、己は己の生が価値観の前提なのである。

価値観を見い出す事によって、生き方が変わったとか、生きて行く目標がはっきりしたとか、充実した毎日を送れるようになったと言う人もいる。こういう人の価値観はあなたと一緒ねというレベルのものではなく、心の奥底に秘めた位置付けとしている。

価値観は本来安売りするものではない。余りにも稚拙であれば不興を買いかねない。残念ながら、価値観は目に見え、数値に表されるものではないから、いくら立派な価値観を口にしたところで、日頃の言動が恥じ入るものであれば、周りから評価もされず、見向きもされないだろう。